東京で一番安くておしゃれな雑貨店
文化屋雑貨店 さんが2015年1月に閉店されるそうです。
現代の雑貨屋さん第1号にして原点。
高度経済成長期のイノベーションにあえて逆らうように
古くからある雑貨を集め、一大ムーブメントを起こした文化屋雑貨店は
1974年(昭和49年)、渋谷ファイヤーストリートに突如出現。
それまでにはなかった新しい雑貨文化が発信されていきました。
グラフィックデザイナーを経て、長谷川義太郎さんによって創業。
まだ、誰もやらなかったことを始め、
見捨てられているモノを発掘し、価値を見いだし、
自分の感覚で選んだモノで 誰かを喜ばせる
筋金入りの“雑貨屋魂”を感じずにはいられません。
90年代後半に私は京都で前職の
懐かし新し雑貨屋さん&ギャラリーMIYABIを運営していました。
雑貨プランナーのはしくれでしたので、文化屋雑貨店オーナーで
第一人者 長谷川義太郎さんをとてもリスペクトしています。
(タケヤマ・ノリヤさんによるkawaiiミヤビの看板イラスト)
当時は、MIYABIでも文化屋雑貨店の商品を扱い
お客さんに大人気でした!!
そんな憧れの文化屋さんのアトリエに、仕入れに訪れた際、
長谷川さんの著作、がらくた雑貨は夢宇宙 でも語られている
日本の各地や蔵、店じまいしたところを訪ねて、
ザッカを集めまくったお話を直接伺う機会にも恵まれました。
「売れ筋を追及することも必要ですが
売れるモノが必ずしも良いモノで美しいわけではない。」
長谷川さんは気さくに接してくださり、ハンドメイドによる
ここにしかない雑貨を生み出すクリエイティブ論を惜しみなく
熱く伝えてくださり、本当に温かくユニークで個性的な方でした!!
そして、アトリエには陶器用の窯もあり、終始ミシンがけの作業音が響き、
モノ作りへの愛や活気で満ち溢れていました。
文化屋雑貨店といえば きいちのオリジナル雑貨が有名ですが
長谷川さんは元グラフィックデザイナーの審美眼でいち早く
蔦谷喜一さんの魅力を見抜き、
きいちブーム再燃への動きを起こした仕掛け人です。
蔦谷喜一さんは、昭和20~30年代に一世風靡したぬりえ作家さんで、
ほのぼのとしたタッチが持ち味ですが、長谷川さんの依頼で、
懐かしくてラブリーな喜一さんの絵に、着せかえやぬりえと異なる、
ビキニ姿でローラースカートを履く少女、蛇とたわむれる少女、
豹をしたがえた少女などが描かれました。
長谷川さんによって斬新でキッチュな新感覚が吹き込まれ、
きいちブーム再燃の一大ムーブメントを起こしました。
また、なんと!
長谷川さんの貴重なコレクションである
蔦谷喜一さんの原画をお借りして、ギャラリーMIYABIでも
展覧会を開催させていただきました。
その想い出深い文化屋雑貨店も40年の歴史の幕を閉じることに…。
Olive少女だった私も多大な影響を受けて
10代の頃から小物やアクセサリーを求めて通いました。
店内は所狭しと雑貨が並べられ、異国情緒にあふれる
迷宮みたいでどこか知らない外国にでも
紛れ込んだような感覚に誘われ…
ワクワクしたり、価値観を揺さぶられるようなトキメキ!
雑貨という概念を掲げて、ファッション、モノ作り、流通の分野まで
多大な影響を与えた文化屋雑貨店。
「売れるモノより 売りたいモノを」
自分の感覚で選んだモノで 誰かを喜ばせ
アイデアをカタチにする
創造性をもつことの大切さを教えてくれた
日本の雑貨の先生 懐深い長谷川さん
その節は本当にお世話になりました。
改めて心から感謝いたします☆