ある存在がわれわれに好意を約束するやいなや、
われわれの認識能力はすぐに停止し、
期待すること以外の力は働かなくなる。
存在はみな、そのような前兆や反映をとおして見る時よりも、
鎧戸の背後にある豊かな在り方の中でみる時の方が、
はるかに美しく、はるかに友好的なものである。
・・・・・・アラン
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ある存在がわれわれに好意を約束するやいなや、
われわれの認識能力はすぐに停止し、
期待すること以外の力は働かなくなる。
存在はみな、そのような前兆や反映をとおして見る時よりも、
鎧戸の背後にある豊かな在り方の中でみる時の方が、
はるかに美しく、はるかに友好的なものである。
・・・・・・アラン
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すべてのものがわれわれには障害である。
もっと正確にいえば、すべてのものは無関心であり、何のかかわりもないのだ。
大地の表面は人間の営みがなければ藪と疫病になる。
敵でもないが、味方でもないのだ。
人間の味方をしてくれるのは人間の営みだけである。
希望があるから、不安が生まれるのだ。
・・・・・・アラン
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「すべての人の運命は、その人が何をやろうとも定められている」
まったく科学的な考え方ではない。
なぜなら、このような宿命論は結局は
「たとえ原因がどんなものであれ、生じる結果は同じものである」という結論だから。
ところがわれわれは、原因がちがえば結果も違うことを知っている。
・・・・・・アラン
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人はおのおの自分の気分を開墾する必要がある。
自分の気分を否定すること、
それはまさにものごとを軽々しく信じないことである。
この世界は鉈(なた)鎌(かま)と斧(おの)によって開かれている。
夢や幻想を追い払ってできた並木道なのだ。
・・・・・・アラン
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~宿命について~
・・・・ものを決定するのはわれわれではない。
われわれはいつも方向を与えてやるだけだ。
勢いのついている馬の首を向けなおす馭者(ぎょしゃ)のようなものだ。
しかし、勢いづいている馬でなければつれて行くことができない。
これが「出発」という意味である。
・・・・中略・・・・
どこへ行くかを考えるのは、まず出発してからのことである
・・・・中略・・・・
だれも選んではいない。
みんな歩き出している。
どんな道もいい道なのだ。
思うに、処世術とはなににもましてまず、自分とけんかをしないことである。
自分が下した決心や今自分のやっている仕事において。
自分とけんかするのではなく、自分の決心や職業をりっぱにやってのけることだ。
われわれは出来上がったこれらの選択、われわれ自身が選んだのではない選択の中に、
宿命をみたがるものだが、
これらの選択はわれわれを拘束するものではない。
なぜなら、悪い運命などないから。
どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命になるのだ。
自分自身の性質についてとやかく言うことほど自分の弱さをあかしているものは何もない。
だれも選びとることはできない。
天から与えられたものはじつに豊かなものだから、
どんな大きな野心を持つものにも満足を与える。
必然を美徳とすることこそ、
美しい仕事、偉大な仕事なのだ。
・・・・・アラン
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からだが暖まったからよろこぶのではなく、
わたしがよろこんでいるからからだが暖まるのだ。
・・・・・・・スピノザ
うまく行ったからうれしいのではなく、
自分がうれしいからうまく行ったのだ。
・・・・・・・アラン
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われわれの敵はいつも想像上のものなのだ。
なぜなら、想像上のものにはとらえどころが何もないから。
・・・・中略・・・・
考えるだけで何もしなかったらどんなことでもかならずこわくなる。
・・・・・アラン
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人間には勇気がある。
たまたまそうだというのではなく、本質においてそうだ。
行動することはあえてやることなのだ。
考えることはあえてやることなのだ。
危険はどこにでもある。
そんなことで人間はたじろぎはしない。
死を求め、死に挑戦するのを見たまえ。
ところが人は死を待つことができない。
自分の仕事をもたない人たちはみんな、すぐ戦いをいどむ。
いらいらしているからだ。死にたいからではない。むしろ生きたいからである。
戦争の本当の原因が少数の人たちの退屈にあることは間違いない。
・・・・・アラン
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(タイタニック号の悲劇について)
感じることはふり返って考えてみることであり、思い出すことである。
大小さまざまな出来事にぶつかって、だれでも同じことを経験しているはずである。
はじめての出来事、予期せぬこと、急を要することなどが注意を占領している。
だからどんな感情も生まれないのである。
出来事そのものを正直に再構成しようとする人は、わけがわからず、
どうなるのかもわからず、まるで夢の中にいるようでしたと伝えようとするだろう。
ところが、出来事を考えることによって今恐怖感が湧いてきて、物語は劇的なものとなってしまうのだ。
病人を死ぬときまでみとった時、深い悲しみにとらわれるのも同じことである。
その時はただぼうっとしていて、瞬間瞬間の知覚や行動にすっかり心が奪われている。
たとえ恐怖や絶望ののイマージュを他人に伝えているとしても、苦しんでいるのはその瞬間ではない。
自分の苦労をあまりにも長く考えすぎた人たちが、
相手に涙を流させるほど切実に語っている時でも、
そう語ることで少しの安らぎを見出しているのである。
とりわけ死んでいった人たちがどんな感情をいだいていたとしても、
死はいっさいを消し去ってしまったのである。
われわれが新聞を開く前に、あの人たちの責め苦は終わってしまった。
苦しみはいやされていたのである。
これはだれにでも親しい思想である。
この考え方から思うに、人はほんとうのところ、死後の生を信じていないのだ。
生き残った人たちの想像力の中では、死者たちは死への道を歩み続けているのである。
・・・・・アラン
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・・・・あえて言い切るならば、思考力だけによってからだを引っかき、
そして直接情念のままに心臓を興奮させ、
血液の波をあちこちに押しやることができるのは
人間だけに与えられた危険な特権である。
・・・・中略・・・・
不機嫌という奴は、自分に自分の不機嫌を伝えるのだ。
だからずっと不機嫌が続いて行く。
それを克服するだけの知恵がないので、われわれは礼儀正しさに救いを求め、
ほほ笑む義務を自らに課すのである。
・・・・・・アラン
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