ブラックとホワイトをテーマに綴っています。
さて、前回の復習になりますが、考え方の背景には
①人間の脳(報酬系)は勝手?に瞬時にやるかやらないかを決めている。
②「やる」とか「やらない」理由はそれらしい御託が後付される。
③ブラックは悪人、ホワイトは善人というのが一般的な認識イメージ。
という前提があります。
ではブラック・メンターというのはどういう存在か。
今日はそのタイプ別に見て行きたいと思います。
まずは・・・
【ドカベン型(会社ロイアリティ型)ブラック・メンター】
①表の顔は善人ペルソナをかぶった、会社ロイアリティの高いレジェンド的存在で、しかも部下の面倒見の良い何事にも真摯で調和を尊ぶホワイト上司。
(全社の人間からそれと目されモデルとなりうる全存在ですが、理解の促進を容易くするために直属上司とします。)
②会社へのロイアリティは尋常ならぬものがあるが、その背景には本人は気づいていないが、自己愛というほとばしる欲望の塊がある。
③会社という存在には色々な側面があるが、多かれ少なかれ業績を抜きには語れない。
④会社にとって業績は大きな命題と言える。
⑤会社業績に大きく貢献することが、自分のロイアリティの証となる。
⑥自分のロイアリティを証明するためには手段を選ばない。
⑦自分一人の力では限界があり、それには部下をしこたま働かせ続ける必要がある。
⑧自分の意にそって動くよう部下を操作しようという信念・下心を持つ。
⑧それが人を操作的に動かす非人道的なブラック存在であろうと意に介さない。
⑨部下が自分(上司)の意に沿って動くには、信頼関係と共感そして部下の戦力化(使える=出来る部下であること)が必要条件となる。
⑩部下に抱いている下心をそれと気づかれること無く、会社思い&部下思いな上司役を演じきらなければならない。
⑪こうして裏の顔は、部下の能力を200%発揮させて会社業績を挙げようという、愛すべき下心に満ちたドカベン型(会社ロイアリティ型)ブラック・メンターとなる。
【今日の一言】
ブラックであるということは、ホワイトな善人で居続けようなどという浮ついた生易しいものとは異次元の存在となることです。
自分にとって大切なものを持ち、それを守るためには手段を選ばない、という信念に対する不退転の覚悟が居ります。
目的を達成するためには本気になる。それしか道は無いように思います。
次回は会社ロイアリティ型とはまた違ったタイプのブラック・メンターについて。
次々回以降はブラック・メンターの共通要件とタイプ別要件をつらつらと考えたいと思います。
【メンターとは】
「メンター」という言葉、一般の人には馴染みがないかもしれません。
ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場する賢人メントールに由来する、相手との信頼や共感関係を背景として全人格的に恣意性抜きで守り支援する養育者的な存在です。
同時にロテジェ(メンティーとも言う。支援をうける者。)が「あの人のようになりたい」と仰ぎ、「あのひとだったらこんな時どう考えるだろうか。どうするだろうか。」と外部思考回路としても機能し、キャリア開発上のモデルとなる存在でもあります。
そしてメンターとしての支援を通じて、メンター自身の発達も促進されステージアップします。
しかし、残念ながら現在の企業では本物のメンターは絶滅危惧種の観があります。
社会的な価値観の変化なども挙げられようが、何よりも組織の短期の成果指向性が最も悪影響を及ぼしていると思われます。
メンター役自身の成果が求められ、他人を支援する時間も心理的余裕も失われています。
出来ないメンバーは組織にとってもメンター役にとってもお荷物以外の何者でもありません。
こうした関係性の中ではメンターとして機能する基本条件である「信頼」「共感」は醸成されず、形ばかりとなります。
そのためお仕着せメンターを作っても、ぎくしゃくとしてかえって逆効果となりメンター役もプロテジェも互いに不全感を抱えていると考えられます。
それではメンター役とされた者に支援しよう(助けよう、教えよう)という気持ちは皆無か?
【ブラック・メンターとは】
上記の問いに対する答え「否」という仮説が私の唱える「ブラック・メンター」(私の造語)の前提条件です。
といっても、人間を美化しようというのではありません。
「自分のことで精一杯」「面倒だ」「やっても無駄」といった気持ちが皆無か?と言えばそれもまた「否」です。
そもそも脳科学的には人間の報酬系は利己的であり、利他行為も報酬系の利己的な働きに支えられています。
身も蓋もありませんが、人間は所詮利己的なBlack&Whiteな存在であり、そのことから逃れることは出来ません。
ではブラック・メンターとはどういう存在なのか。
その心は
「他者を支援するという高邁でホワイトな目的のためには、下心を持つブラックな人間となる・あるいは見なされることも辞さず、ホワイトなメンターを演じきる、それ程にホワイトな存在」
といささか込み入ったものです。
が、簡単に言うとディズニーランドのミッキーマウス。
「人に喜びと感動を与えるという高邁でホワイトな目的のためには、『どうせ入場者を増やしたいとか給料が欲しといった下心を持ちながらやっているんだろう。』と下心のあるブラックな奴と思われ自分の純粋な思いが踏みにじられることも辞さないほど、人に喜びと感動を与えたいと切望し、ホワイトなミッキーマウス役を演じきっている着ぐるみの中の人。」です。
えっ?それって何?意味不明!
自分でもそんな気がしてます・・・が
今回は「ブラック・メンター」の提示ということで、提起の内容については次回以降に続きます。
「メンター」という言葉、一般の人には馴染みがないかもしれません。
ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場する賢人メントールに由来する、相手との信頼や共感関係を背景として全人格的に恣意性抜きで守り支援する養育者的な存在です。
同時にロテジェ(メンティーとも言う。支援をうける者。)が「あの人のようになりたい」と仰ぎ、「あのひとだったらこんな時どう考えるだろうか。どうするだろうか。」と外部思考回路としても機能し、キャリア開発上のモデルとなる存在でもあります。
そしてメンターとしての支援を通じて、メンター自身の発達も促進されステージアップします。
しかし、残念ながら現在の企業では本物のメンターは絶滅危惧種の観があります。
社会的な価値観の変化なども挙げられようが、何よりも組織の短期の成果指向性が最も悪影響を及ぼしていると思われます。
メンター役自身の成果が求められ、他人を支援する時間も心理的余裕も失われています。
出来ないメンバーは組織にとってもメンター役にとってもお荷物以外の何者でもありません。
こうした関係性の中ではメンターとして機能する基本条件である「信頼」「共感」は醸成されず、形ばかりとなります。
そのためお仕着せメンターを作っても、ぎくしゃくとしてかえって逆効果となりメンター役もプロテジェも互いに不全感を抱えていると考えられます。
それではメンター役とされた者に支援しよう(助けよう、教えよう)という気持ちは皆無か?
【ブラック・メンターとは】
上記の問いに対する答え「否」という仮説が私の唱える「ブラック・メンター」(私の造語)の前提条件です。
といっても、人間を美化しようというのではありません。
「自分のことで精一杯」「面倒だ」「やっても無駄」といった気持ちが皆無か?と言えばそれもまた「否」です。
そもそも脳科学的には人間の報酬系は利己的であり、利他行為も報酬系の利己的な働きに支えられています。
身も蓋もありませんが、人間は所詮利己的なBlack&Whiteな存在であり、そのことから逃れることは出来ません。
ではブラック・メンターとはどういう存在なのか。
その心は
「他者を支援するという高邁でホワイトな目的のためには、下心を持つブラックな人間となる・あるいは見なされることも辞さず、ホワイトなメンターを演じきる、それ程にホワイトな存在」
といささか込み入ったものです。
が、簡単に言うとディズニーランドのミッキーマウス。
「人に喜びと感動を与えるという高邁でホワイトな目的のためには、『どうせ入場者を増やしたいとか給料が欲しといった下心を持ちながらやっているんだろう。』と下心のあるブラックな奴と思われ自分の純粋な思いが踏みにじられることも辞さないほど、人に喜びと感動を与えたいと切望し、ホワイトなミッキーマウス役を演じきっている着ぐるみの中の人。」です。
えっ?それって何?意味不明!
自分でもそんな気がしてます・・・が

今回は「ブラック・メンター」の提示ということで、提起の内容については次回以降に続きます。
