心が生きる意味を持つ | 日常に溢れている幸せと笑いと楽しさ

日常に溢れている幸せと笑いと楽しさ

日々感じたことを自由きままに書いています。

生きているのではなく、全てのものが自分の身の回りや自分自身にもあり、その中で自分という存在は生かされているんだなと感じました。

空気がなければ、呼吸ができません。
水がなければ、生きれません。
太陽がなければ、朝はきません。
家がなければ、寒い中、暑い中、外で生きないといけません。
人がいなければ、喜怒哀楽を感じることができず、人の気持ち、自分の気持ちを知ること、感じることができません。
乗り物がなければ、行きたい場所に行けないし、会いたい人にも会えません。
希望がなければ、生きている意味を見出せません。
絶望がなければ、こうなりたいという希望すら描けません。
嫌な人がいないと、いい人を認識することができません。
寒さがなければ暑さがわかりません。
悲しいがないと楽しいがわかりません。
苦しいがないと楽がわかりません。
寂しさがないと温かさがわかりません。
不幸がないと幸せがわかりません。

私たちは、出来事や人を通して、自分の感情を感じたり、認識できます。
それは自分一人だけではできません。

そして、それぞれ、みんな得意なことを生かしてくれる人がいたから、乗り物ができ、長距離への移動が楽に早くできるようになったし、家を作ってくれる人がいたから、住める場所があります。野菜を育ててくれる人がいて、こういうふうにしたらおいしいと、作ってくれた人がいたから、料理ができています。


本当にこの世界はできる人がいるから、自分ができないこともカバーできていますし、おかげさまで補いあえているんだなと感じました。

変わりたい!こうなりたい!と、願いはあっても、思考グセ、思考パターンを変えるのは、なかなか難しいです。


一方的に内なる神様に訴えかけまくっていたら、エネルギーで返事がきたりだとか。
繋がっていると、本当に心地いいです。
すぐにずれてしまうから、毎瞬、常に愛に軸を戻すように努めています。

この世はやはり、自分の力で生きているようで、周りの人や自然界、地球、私を取り囲んでいる全てにより、私という存在は生かされているんだなと感じました。

本当にジントヨーです。
私が泣いていても誰かが笑っている。
そう思えたら、優しくなれます。





最近、心が生きる意味とは?との、問いかけが内なる神様からきました。


心が生きる意味をもつとは?

心が生き生きする
心が本当の自分である
心が閉じ込められてない
心が我慢していない
自分らしさを表現できている
ありのままの自分で生きれている

心が生きる意味を持つと心が輝きます。
逆に心を閉じ込めたり、我慢して蓋をしたり、なかったことにしたり、誤魔化すと、心は暗闇に小さくなり本来持っている、自分らしさやキラキラがでず、エネルギーが滞るので、循環もできず、気持ちが沈んだり、やる気がなくなったり、心身がきつくなるという不調が内なる神様からサインとして、やってきます。



私は不快感、違和感が現れたら、その都度、内観し、なるべく愛に戻すように努めています。なぜなら、心がしんどいからです。
ずれているなということに、最近気がつけるようになりました。
今までは湧いてきた自分の中にあるヘドロに巻き込まれていましたが、成長しました笑


本当、それの繰り返しです。
繰り返していくうちに、自分軸に戻れるのが早くなってきました。

なにより、内なる神様から言われた、

できる、できない
買える、買えない
行ける、行けない


これらを判断するのではなく、こうしたい、ここに行きたい、これを買いたい、これをしてあげたいと湧いてきた優しい自分の中にある気持ちをなかったことにせず、大切にしてね。その気持ちを勝手に判断して閉じ込めたり、消すのではなく、心で温めてね。湧いてくる気持ちは、そのエネルギー体があなたにあり、違う次元では、それを実現できているあなたもいるから、波にのり、あなたがこうなりたいとか、欲しいとか、行きたいとか気持ちが湧いてくるんだよ。

との、優しいお言葉があり、自分の中で芽生えた気持ちを大切に育てていこうと思えました。