2017年、あけましておめでとうございます♪
2016年の振り返りも、ご挨拶もまだでしたが、今日はこころのままに、愛について語りたいと思います♡
なんでかっていうとね、新井由己さんの、嫉妬や束縛のないパートナーシップは存在するのかを読んで、わたしの愛を溢れさせよう♪と決めたからなの(*^^*)
いつもはFacebookのシェアとかで終わるであろう感覚のシェアだけど、ブログに書きたいなーと思ったのは、今、「いのちの愛」というテーマが、わたしにとっても、地球にとっても、とても大切だなぁと、そう感じたから♪
それは、間違いも比較もない、「いのちの愛」という表現が、「成るがままに、成されますように♡」という祈りでもある^ ^
新井由己さんの書かれた記事は、ポリアモリーという、複数愛についての価値観の宣言なのですが、それについての詳しくは、何よりそれを表現されている、ご本人が書かれたリンク元をぜひ読んでみてね♪
わたしは「なるほど〜♪」と思いながら読みました。
そういう愛のかたちも、あるよね〜って(*^^*)
なんかね、正直にうちあけると、わたしは「愛」ってものの制限がある世界がそもそもよくわからないのだけど。
そもそもが、人間という枠さえ限られずに、自分と違うものに愛されるのが当然で、自分と違うものを愛するのが当然で生きてきたから、ほんとうに、わからないのだけど。
だけど、「愛されたいなぁ」「愛したいなぁ」の思いが生み出すたくさんの物語が自分の中にも存在しているし、同じように、自分の「愛」の形になやみ、迷い、苦しんでいるひとがたくさんいるのは知っていて。
だけどね、どうしてなやみ、迷い、苦しむのかっていったら、自分自身以外に、その承認を求めるからじゃないのかなぁと、そんな風にも感じていて(*^^*)
だってね、異性愛だろうと同性愛だろうと、愛し方が普通だろうとちょっとやばい領域入ってようと、勝手に押し付けられて、相手のいのち関係なく承認するのが当たり前、みたいな態度をとられたら腹立つけど、あくまで自分の趣味嗜好は受け入れつつも、相手の趣味嗜好も尊重していたら、「そっか〜(*^^*)」で済むと思うのね。
まぁそれがあっさり成立していたら、世の中の愛憎劇を描いた数々の芸術作品は生まれなかったと思うのだけど^ ^
秘められていて、抑圧されていたからこその芸術だったのかなぁと、そんな風にも感じるけれど、時代はもう、開かれている今だから。
みんなの、自分のいのちから溢れていった愛し方、愛され方が、誰の承認もいらなくて、誰の許可もいらなくて、ただ、いのちの溢れたいままに溢れていったら素敵だなぁって、そんな風に感じています♪
だって、博愛のひとがとことん一人の人を愛し抜くのも、自己愛のひとが複数のひとを愛し愛されて新しいコミュニティを築くのも、性別や年齢やあらゆる社会的な境界を越えてみるのも、そのすべてを受け入れて制約のなかで目一杯愛を貫くのも。
純粋で不純な、愛そのものだもんね(*^^*)
ここは多様性の星、地球。
いろんないのち、みーんなで進化して、今がある♪
だからね、ひとの愛しかたにつべこべ言ったり、つべこべ言われたりする暇があるのなら、黙って自分のいのちの愛を愛しぬけばいい。
いのちの愛を、貫けばいい♪
誰かが名付けた愛におさまらず、湧きあがるままに、自分という名の愛を生きていったらいい。
だって、どんな形にしろそこに自分がフォーカスしている限り、「嫉妬」や「束縛」は在るのかもしれない。
むしろフォーカスしなくなっても、それがどんな感情かわからなくても、どれだけ自分を生きていても、その音がふと、自分の世界に響く時はあるのかも。
その時に、おぉぉーって面白がれる自分でありたいな、と思います♪
実際ね、面白いと思うの。
超傑作な喜劇をやってる時に超シリアスなキャラクターがくどくどとした講釈を垂れながら乱入してきたり、プロのオーケストラが彼らの最高水準でクラシックを演奏している時にポコペンをふきながら飛び入り参加してくるおじさんとかいたら、面白いと思うの♪
新しい笑いと共に、出会ったことのない世界同士のアルケミーが真剣に、軽やかに起こるのは、ほんとうに、面白いと思うの(*^^*)
時には真正面から向かいすぎて、傷ついたり、傷つけたりすることもあったかもしれないけれど。
それはきっと、傷つくほどに、愛が深かった証なんだ。
誰よりも、自分が自分そのものを愛した証なんだ。
だから、その傷を手放したくないのでしょう?(*^^*)
大丈夫、どうせみんな愛されてるから。
地球は、当たり前みたいに、みんなを愛してるから。
わたしの中に広がる愛の世界は、そんな世界♪
2017年のテーマは「地球と共に」なんだけど、こっそりエロスも解禁しといたので、どんどん溢れるままに、いのちの愛が広がったらいいなーと思います♡
そんなわけで今日の宇宙ラジオはずーっと昔の歌、川本真琴の1/2♪
セックスシンボルからは程遠い姿の彼女が、ずっと昔のあの時代に、この歌を歌ったことが素晴らしいと思います♡
そしてすべてのいのちへこの言葉を贈ります。
"神様はなにも禁止なんかしてない
愛してる 愛してる 愛してる♡"
LOVE♡ヽ(=´▽`=)ノ
********
そうそう、新井由己さんの、すごい素敵だったんだけど、一個だけひっかかって。
ボノボとチンパンジーについて、恣意的に書かれていたのが残念で。
たぶんね、どう読んでもそこじゃないんだろうけど、わたしにはどう読んでもそこだったの。笑
だってね、ボノボはボノボの種を極めていて、チンパンジーはチンパンジーの種を極めているんだよ。
そしてその中でもさらにイレギュラーがいたりして、それが生物の進化を促している。
別に新井由己さんはそれをダメともいいとも言ってはいないんだけど、わざと違う彼らを比較対象にもってくることにより、誘導的な描き方はしてると感じたのね。
わたしはね、すべての嫉妬は比較から生まれると思ってます。
当たり前だけど、誰も、ボノボにならなくていいし、チンパンジーにならなくていい。
彼ら以上に彼らになれるいのちなんていないんだから。
ただ、自分のいのちであったらいい。
傷ついていて、まっすぐにそうなれないなら、そんな自分をただ認めてあげたらいい。
ボノボとチンパンジーのDNAの話が出たからあえてかくけど。
わたしはあえてそこに例えるならば、ボノボとチンパンジーの混血で生まれてさらにレイヨウに憧れてオオカミと結婚してみるようなタイプを引き継ぐDNAだと思います♪
それが、いのち観察マニアであるわたし的、「人間」という生き物だと思ってます。
たった二択になんて、おさまるもんか。
おさまる必要なんて、あるもんか。
並べると狂氣しか感じないけど、コレも愛♡笑
ちなみにわたしはわたし自身がどんな愛なのかってまだ定義できてないんです♪
だってね、次になにをどう好きになるのか全く予測がつかないし、その時どんな風に溢れ出すのかも全くわからないから。
今までの定義はそりゃーありますけど、ひとつ終えたらすべて還して前に進むから、それが次の瞬間も有効だなんて思ってないんです。
どんな性であろうと、わたしはわたしという名の個性♪
様々な境界もタブーも常識であり続けることもそれらすべてを手放すことさえ越えて、わたしはただ、いつでもわたしで在るだけなんです。
様々な境界もタブーも常識であり続けることもそれらすべてを手放すことさえ越えて、わたしはただ、いつでもわたしで在るだけなんです。
今、かろうじて女であることを選んでるけど、それ以外はとんと不明瞭で、どれがわたしなのかもわからないけど(だって、どれもわたしなんだよな〜)、確かにここに居て、確かに愛を放ってる。
その種類にたとえ名前がなくても、市民権がなくたって、わたしはただここにいる♡
ひょっとしたら、触れ合った時に初めて実態を持つのかもね^ ^
そして実態をもってなお、そこにそのままとどまれる保証なんてどこにもないんです。
ないんだけど、その時、その愛はなくなるんじゃなくて、ただ広がり、深まり、その愛を通して増えていくんだよね。
性別で、愛し方で、愛され方で。
わたしたちは自分や他者の愛を区切り、区切られることを受け入れてきたけれど。
そして実態をもってなお、そこにそのままとどまれる保証なんてどこにもないんです。
ないんだけど、その時、その愛はなくなるんじゃなくて、ただ広がり、深まり、その愛を通して増えていくんだよね。
性別で、愛し方で、愛され方で。
わたしたちは自分や他者の愛を区切り、区切られることを受け入れてきたけれど。
きっと愛は最初から、もっと自由なものなんだ。
愛はもっともっともっと、自由だ。
愛はもっともっともっと、自由だ。
愛は、自由そのものだ♡
2017年最初の宣言(*^^*)
新井由己さん、すてきなテーマをありがとう♪
2017年、地球にみんなのすてきな愛が、いのちのままに溢れますように♪
今年もみんなそれぞれ、すてきな年を♡
楽しい一年を♡
本年もいのちのままに、どうぞよろしくお願いします♪