ある日、森の入り口で、いっぴきのくまさんに出会いました。
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まるで番人のように、そこに現れたくまさん。

よく、熊のいる森を訪れると、遠くの方から彼らの視線を感じることがあって。
大抵は、殺氣まではいかない、彼らの暮らす場所にはいるよ、という合図のようなものなんだけど(*^^*)

そして、そんな森の入り口に着く前には、蜂がそっとチェックにきたり、小さな虫たち、動物たちが奥の奥の奥へと導いてくれることがある。

反対に、これ以上行ってはいけない場所にくると、やっぱり動物たちがなんらかの行動を示して教えてくれる。

その、「行ってはいけない」は、これ以上行くと危ないよ、だったり、「今は、様々なものを身につけた人の体では来てほしくない」だったりするのだけど、そういう時は感謝して引き返すことがほとんど。

反対に、どれだけ薄暗くても、ジメジメしてても、彼らの警告がなくて、なんだかそちらに惹かれる時は奥へ奥へと向かいます。
(まぁわたしはそんなに人の氣配がなくなるような深い森はよほどのことがない限りはいかないけどね♪)

この感覚って、なんでもないことなんだけど、わたしが、自然界や動物たちと、わたしのまんま交流していくなかで、すごく大切にしていることで(*^^*)

意外に、「人間」マニアだって氣がついてから、自分の織りなす人間模様とまっすぐ向き合ってみてるのだけど、基本的に好きなものは有機物無機物関係なく、「食べちゃいたい」欲求にかられるわたしの視点からみてみると、大好きなものを目の前にしたとき、ついつい、わたしたちはその大好きなものに、無遠慮に近づきすぎることがあるようなきがしている。

くっついて、寄り集まって、絡まって、ひとつに在ることがこの地球のなかでは自然だって、まるで、原子のレベルで知っているかのように。
まるで、「そう在ることが自然なんだよ」って、本能に突き動かされるかのように。

わかれた意識のまま、勢いよく衝突したら、自分も相手もぐちゃぐちゃに交じり合って、まったくの別物に変わってしまうかもしれないのに、きがつけばそれすら楽しくて、地球にいるあいだのひとつのすてきな遊びとして、わたしたち人間は「知らないふりごっこ」を続けながら、それをみんなでやっているような。

人間関係って、まるで原子の遊びみたいって思っています(*^^*)

酸化還元反応みたいに変化変質を遊んでみたり、結合と反応と変化を繰り返すように、わたしたちは人と人との関係を、自由自在に遊んで生きていて。

それはほんとうに面白いことだし、そこから生まれるものがたくさんあるのだけど。

まるっきり自然なものと接する時、その「知らないふりごっこ」が、ほんの少しだけ、邪魔になることがある。

なんていえばいいのかな?
生まれる前のエーテル同士だと、どれだけその溶質が異なっていても、ただ、ながれのままに流れていくだけなのに、物質として満たされたエーテルのなかにぼちゃんと入ると、バチバチと、半ば強制的に、変わっていかなければならないような。

わたしはね、変化していくすべてが大好きで、その瞬間に生まれる奇跡みたいないのちの煌めきにスポットライトを当てるのが大好きだけど、日常の在り方はひたすら、とことん、ささやかなのが好きなんです。

ダイナミックな、ドラマチックな、奇跡みたいな煌めきを含むすべての要素は、ささやかなものたちのなかに存在しているから。

自然界は、ささやかなものたちの集まり。
人間の意味づけの外側で、彼らはただそこに在り、流れていて。

その、ささやかなるものたちの世界をひとつに繋ぐいとを、わたしはとても愛しているんだ(*^^*)

そして今、人間として暮らしてみて、人間の世界も、ほんとうはそうなのだろうな、と感じ初めています。

どれほどの大都市でも、巨大なシステムでも、すべてはささやかなるものたちの"祈り"(ここの言葉はほんとうは言語化不可なので、それぞれの言葉に変換してね^ ^)がいとで繋がれて現れているだけなのかもな、って、マクロとミクロの視点を旅して、そんな風に感じています。

きっと、どちらも構築の中身としてはとても似ている(*^^*)

じゃあ、どこがちがうのかな?って観察してみたのだけど、人間の都市のなかには、「それは、地球でやる意味があるのかな?」というようなものがたまに混じっているきがしていて。

その、「地球でやる意味があるのかな?」って感じる、そういうものが、悪意なく、ささやかなものを壊して、いとを壊して、壊したものの、単一原子では存在するのが難しくて、結びつきたくて、だけど、どうやって結びついたらいいのかわからずに分離したままになって‥

そんな無意識的な感覚が、結果的に今の時代まで持ち越され、力の入り具合はそれぞれだけれど人間の自分として使えるあらゆる手段を用いて「地球を救わないと!(変えるためになにかしないと!)」っていう、共通意識みたいなものになっている氣がして。

すごくね、あたりまえのことを言うけれど、今、ここは"地球"なんです。

たくさんの役割と着ぐるみを見に纏い、「知らないふりごっこ」をしてわたしたちはココにいるけれど、わたしたちが生まれて、生きているのは、他の宇宙のどの惑星でも、どの次元の、どの世界でもなく、"地球"なの♪

わたしたちはそれぞれの夢をみながら、わたしたちはたった今も、共通の、大きな夢をみている。

"地球"っていうテーマの大きな夢を。

無数の視点で、同じ夢をみている。
それぞれの視点の、"地球"をみている。

その、"地球"において、古来からずっとわたしたちの共通認識世界として、五感に感じられるレベルも含めて現れていた自然界。

彼らのなかには、この"地球"で、自由に、豊かに、面白く、あるがままに、楽しむための智慧が溢れている。

ほとんどの科学技術の発展、建築、医療、工業の発展は、自然界のエッセンスを使って行われ、その手技も自然界のシステムから得られている。

喰ったり喰われたりする動物たちの世界をわたしたちは野蛮だとみなしてきたけれど、彼らを観察すれば観察するほど、本氣で生きることをやめない彼らの底力を知れば知るほど、彼らはただ流れと共にあり、もし、人間の言葉に彼らの在り方を置き換えるのなら、本来は、「喰ったり喰わせたり」なのだな、と感じる。

それは冒頭の、わたしの「好きになると食べちゃいたくなる欲求」にも繋がるのだけど、ひとつの生を全力で生き抜いたとき、いのちは世界に自分を喰わせて生き延びるのだな、と思ったんだ。

森もいのちを喰らうし、自然界では喰らう役割のものもいる。

そして自然界においては、喰らうものは、自分を生き切ることでほんとうにたくさんのいのちを活かす。
喰らったいのち以上に、たくさんのいのちを支え、養い、いのちが再び巡っていく、その循環に自分を捧げる。

だから彼らのなかには、「犠牲」の意識がうまれないんだ。

いのちは巡ることをかれらは無意識に知っているし、いのちは生き続けていることを。
ほんとうは生きている間こそ、すべてのいのちと共にあることを、かれらは無意識に知っているから。

自然界のなかにある、「喰らい、喰わせる」関係の中にみえる愛を人間が思い出したら。
いのちは、どれほどひとりでも、孤独ではないと思い出したら。

そうやって、ひとつひとつ、自分のなかの"自然"を思い出していったなら。

ほんとうにささやかで在る自分を、こころから感謝して、喜べるんじゃないかなーって(*^^*)

そして、"地球"という、「いま、ここに在る」大前提の共通のテーマのなかで、もう在る、素晴らしい仲間たちとともに、わたしたちはなにを描いていくのかなーって。

なんだかすこし、楽しみになったから、今日は、遊び人爽歌♪の地球生活レポートを、ここにUPしておきますね♪
そして、冒頭の番人みたいなくまさんのお話に繋がる話に戻る。笑


自然界と交じりあって生きていると、たまーにね、「人間として生まれたのだから、人間としてのシステムも楽しまないとね」と、時々、有識者?の方から言われることがあるのですが。

わたしにとっては、隣のおじさんやおばさんも、オバマさんも、アマゾンの奥地の原住民も、南の島のあの人も、戦地で戦う兵士のひとも、霊能者も道化も、何人でも、お父さんもお母さんもあなたも、そなたも、なによりも、わたし自身も♡

みんなの在り方が、「人間」です♪

"種"(speciesの方)って、そういうものでしょう?

原始的とか先進的っていう見方も単一方向からの乱暴な見方だから、どっかの誰かの採用してるシステムの押し付けを「人間であること」とは思わないなー。

今、わたしはしごととしても、動物たちを含めた様々とコミュニケーションするけど、それを周りに知られたときの反応で、一個だけすごくきにいらないのがあってね。

なんかね、「動物たちとコミュニケーションをとる=動物たちにいうことをきかせる」な意識のひとが結構いるんですよ。

「話せるってことは、言うこときいてくれるの?」

っていう言葉をきくたびに、いのちをなめるな、と思う。笑

当たり前だけど、人間語を話さなくても、彼ら、そういうのぜんぶ伝わりますからね。

ていうか、自分に置き換えて考えてみたらすぐにわかると思うんだけど、なんか急にやってきて全然礼儀もマナーも知らないのにやたらと距離つめてきて、上から目線で話しかけてくる人がいたらさ、「なんなのコイツ」としか思わないでしょう。笑

ほんとうに彼らと交流したいって願ってるひとは、彼らの元へ行く前に、まず、自分自身の、日常レベルでの、動物や、自然界に対する在り方から向き合ってみてください。
それがきっと、一番の近道♪

コミュニケーションって、一方通行はありえないから。
そして、本音のコミュニケーションには損得も優劣も無いです。

例えば彼らが道を開けてくれたのだとすれば、それは、いのちがそのように流れているから。
結果的に「言うこときいてくれた」ように感じる在り方になったは、なにが特別な力が働いたからじゃないんですよ。
ただ、動物と自分との間に流れるものが、そう在ることがいちばん自然な流れだっただけ(*^^*)

自然界に入るとき、自然界と共に生きている自分と向き合うとき、ぜひ、いのちの声を聴いてみてください。

呼びかけるよりも、聴けば、自然に‥‥‥

わたしたちは自然に。

我慢もせず、無理もせず、我慢を機いらず、無理をしいらず‥‥

自然と、地球のすべてと調和した、素敵な文明社会を生きてゆけると思います(*^^*)




だってね、考えてもみてよ。


この地球には、リュウグウノツカイやシーラカンスのようないきものから、アメーバ、菌類、クジラ、もふもふのすべての動物たち、樹々、草花、鳥、爬虫類、両生類、人間‥‥‥

そんな、とっても個性的でヘンテコで、いのちの温もりと愛に溢れている仲間たちが、みーんなで暮らしてるんだもん。

もう、一緒に暮らしてるの。
暮らせているの(*^^*)


その中には、たとえば、滅びて姿を一新して現れたい種もいるのかもしれない。

ゴキブリたちのように、すこしずつ形態を変えながら環境適応を繰り返し、ずっと長いときをひとつの種で生き続けたい種もいるのかもしれない。

そんな在り方さえ地球では自由で、多様性はその自由な在り方を尊重しあって動いてる。

人間はそんな多様性の地球のなかで、なにがしたいのかよくわからない。
てんでバラバラで、自由で、自分で自分の首をしめては悶えて、怒ってみたり、戦ってみたり。
愛したり、笑ったり。
そんな、いのちとして訪れる一個一個の瞬間を、大げさなドラマに仕立てて、ほんとうになにをしたいのかわからない。

演劇が好きなのかな?
地球を、劇のセットかなにかだと思ってるのかな?

正義が勝って悪が倒されるような、自分を含めたなにかと闘って失敗と成功を繰り返す、ヒーロー劇が好きなひとが多いのかな???

ひとりごっこが、好きなのかな?

ほんとうはね、自然界との調和の世界に、ドラマは一切必要ないんです。
それは、ただ、在る世界だから。

でもね、もしもドラマが必要なら、わたしはりきってめっちゃ面白い脚本描くよ(*^^*)

みんなも、描いたらいいと思う♪

分離の世界から調和を夢見るドラマを描くのではなく、調和の世界から、今を生きる、ドラマを。

本音はぶつかっても、ケンカしないから(*^^*)


大丈夫♡
いのちが喜ぶ、すてきなドラマを描いて遊んでね

そうして、いつか、氣がすんだら

そのとき、いのちは自然のままに

流れていたことに、氣づく‥‥‥‥かも?

まぁ、むずかしいことは、しらんけどヽ(=´▽`=)ノ

********

ずっとずっと続いている、原子の遊びと長い夢。

夢から覚めても、わたしは醒めない。

"地球"のすべてを五感で感じて、描いた現実を、生きていく

その先に、現れる未知に愛されて、新しい種を蒔いていく

からだがあるってすてきだ

こころがあるってすてきだ

"地球"で今日も、共に在るってすてきだ(*^^*)


LOVE♡


☆おまけ☆

わたしね、ずーっとネバーエンディングストーリーに出てくるファルコンが、こどものころから大好きで(*^^*)

モフモフに顔を埋めるのが夢だったのです♪
そうしたらね、先日、心友が連れていってくれたスピッツのLIVEで、ファルコンに出会ったのです。
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アルバムのキャラクターで、もにゃもにゃというらしい♪
もうね、あんまりに大ヒットで、普段は絶対買わないTシャツ(わたしはTシャツがほんとうに似合わないの。破滅的に似合わない)を思わず即買い。笑

もう5年くらい前かな?
わたしに大きなモフモフの白い龍のようなものがいるといってくれたひとがいて、その龍がね、なんかのためにしごとするとかそういうのじゃなくて、「ただ、好きだから、一緒に遊びたいから、そばにいるんだって言ってるよ」って伝えてくれて^ ^

その龍のイメージが、わたしてきにもその人てきにもファルコンみたいな感じだったんだけど、「ただ好きだから、一緒に遊びたいから、そばにいる」って、そういえばわたしのパートナーシップの大切な在り方だなぁって、この、もにゃもにゃTシャツをみて久しぶりに思い出しました。

そうしたら、ね。

次の日、ファルコンみたいな、朽ちて大地に横たわる龍の頭に出会いました(*^^*)
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大きな口とツノも、そのまんまで
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だれにも告げずに、訪れるものを見守りながら、ただ、そこで静かに朽ちていく。

わたしはずっとね、どうして、人間の多くが自然と自分を分けて暮らしているこの地球で、今もの古代と変わらずに、地球が毎日くるくると回って、当たり前みたいに朝が来て夜が来て、水は流れて大地は固まり、マグマは地中深くで燃えて、海が、やまが、森が、たくさんのいのちを育み続けているのか不思議だったんだけど。

だって、流れがなければすべてはとまるから。
意識の上で隔たれたような、人間と自然の間には、いったい、なにが流れているんだろうって不思議だったの。

でもね、たぶん、単純なことなんだ。

森に入ると感じること。
地球♡旅にでると、感じること。

丁寧に、自分という今を生きていると感じること。

ねぇ、「共に在る」のに、「共に在りたい」と願うのに、理由なんている?

ただ、好きだから。
一緒に遊びたいから。
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それくらいでも、いいんじゃないのかな?

お伽話の世界のファルコンにずーっとくっつきたかったわたしは、地球でずっとわたしたちと一緒に遊んでくれていたファルコンに、やっとくっつくことができました(*^^*)

これからもこの龍の頭は、森に、他のいのちに、すこしずつその身を喰わせて、いつかスピリットと同じように、からだごと、すべてのなかに生きていくのだと思います。

わたしたちが忘れても、すべてはずっと、ここに在る。
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どこにも行ってないよ
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そばに、いるよ

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男体山のツインハート♡(*^^*)


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真っ暗闇に包まれて、鮮やかに光が射してくる


原子の夢。
それは、生まれた時に、すべてのいのちが確かにみた景色なのかもしれないね(*^^*)


すべての生きとし生けるものたちへ♪

LOVE♡