自分の中の無意識の想いとかが、深いところから浮かんできているような数日間。
ついさっき、自分の豊かさについて持ち続けてきた、定義がひとつ見えてきた。
わたしは、
"わたしに関わるひとたちはみんな、当たり前に豊かになる"
、と思い込んで生まれてきたみたいだ。
傲慢とか、自分の力がどうとかじゃなくて、
「それが、わたしが持ってきた真理だから。」
っていう感じ。
つまり、いのちといのちが関わり合った時に、豊かにならないはずがない、ってこと(*^^*)
そして、この想いに氣づいてしまったら、「こんな想いを根っこに持ちながら上辺の方でいい子ぶって遠慮をしていたら、そりゃーエネルギーの循環不全を起こすわね〜!」と思った^ ^
どうしようもなく焦がれるようにして、わたしはきっと生まれてきたのに。
遊ぶ氣満々で、生み出したくてたまらなくて、だけど、「言葉」が在ることの面白さや不便さ、永遠の静けさみたいな場所と、カオスが交わったなら、いったいどうなるんだろう?って見てみたくて。
わたしが動いても動かなくても、エネルギーの拡大は、勝手に、遠慮なく起こっていく。
そうして広がることを受け入れゆるして、境目がなくなればなくなるほど、ひとつの個としての人生が凝縮され、深まっていく。
いのちをみくびるな、って、いのちをなめるな、って口ぐせのように響いてたから、ブログでも何回か書いていたんだけど、いのちをなめていたのはやっぱりわたし自身だったね(*^^*)
わたしの中に当たり前に在り続ける、豊かさの意識。
いのちと共に育まれ、いちばん確実な方法で伝えられてきた、豊かさの意識。
いのちといのちが交わり、アルケミーする、ということ。
それは、新しいいのちが形を持って、この地球に生まれてしまうくらいの奇跡なのに。
学校で習う授業のなかにも、習わなくたって続いてきた、いのちの営みの中にも、全てのいのちが保ち、長いときと共に育み続けた豊かさの意識は息づいているのに。
どうして、「お金」というひとつのすてきな概念的文化になった途端に、他の全てと分離してしまうの??
「お金」は、いのちの豊かさの中に当たり前に含まれてるよ。
もしも誰かが独占できる富があるとするのなら、それは全部、実態はない虚像だよ(*^^*)
今、わたしたちは、いのちといのちの交わりのちからを、思いだそう。
そうして氣がついたなら、世界に放て♡
あなたの言葉で。
あなたのいのちで。
世界に放て、愛のちから♡ヽ(=´▽`=)ノ
今日もMiraとおでかけです。
なんでもいいけど(*^^*)
もっともっと、自由でロックな魂を爆発させていこうと思います♡
明日は新月なんだって♪
みんなも、素晴らしいいちにちを〜ヽ(=´▽`=)ノ