突然だけど、みんなは、今の自分をとりまく世界に未練はありますか??

わたしはかーなーり、未練がましいほうですヽ(=´▽`=)ノ

ある日突然、自分の世界が一変してしまったら。
大好きなものとか、自分だと思っていたものとか、夢とか、希望とか、ぜーんぶ真っ白にされて、取っ払われて、まったく思いもしなかった、知らない、慣れない、よく分からない世界に放り込まれてしまったら。

まあこれ、全部わたしがよく体験していることなんだけど。笑

「不変なものなどない。すべては流動的であり、それが世界というものだ」とか、「変化を受け入れたほうが自然なんだよ」とか、昔からいろんな人たちが、本当に様々な言葉で、在り方で、ケーススタディで、伝えてくれていることなんだけど。

そもそも、「変化」ってなんだろう?
とわたしはふと、思うわけです。

ちなみに「変化」は「へんか」ですよ。「へんげ」じゃないよ。
「へんげ」でもいいけど。笑

「変化」という言葉の含む領域って無限だから、いのちの数だけ、いろんな「変化」があります。
髪型変えてみた〜とか、着ている服や食べるもの、住む家を変えてみた〜、というような、見えていて他の人にもわかりやすい、がっつりと生活に根ざしているだけに「好み」や「価値判断」の働きやすい変化から、内面的・精神的な変化、細胞の変化、記憶の変化、関係の変化・・・・

たくさんありすぎて、この世はたぶん、「変化」で動いているんじゃないかな?って思うほど^^

そしてね、とっても不思議で不可解なこの「変化」というものを感じているのは、つねに「わたし」という人物なんです。
そして、「観測点」、つまり、「変化」をみている「わたし」という人物が変わると、みえてくる「変化」の様相も変わっていく。

だから、「変化」という概念そのものも、とても流動的で、不変のようでいてものすごい変容の渦だなあとわたしは感じています^^

「わたし」が「変化」を観察した時、それはそこに在ったことになって、いつのまにか自分を超えて、周りにも影響を及ぼしていったりして。
「周り」に影響を及ぼすものとして認識されるから、時には、マニュアルのようなものがつくられたりすることもあって。

そして、そこに当てはまるひとと、当てはまらないひと、それから、上手に応用するひとと、型にはまろうとがんばるひとなどにわかれていきます。

みんな、「本物」をなんとか現そうと。
自分こそが「本物」だと証明しようとがんばりますが、「本物」って、どんなに素晴らしく感じるひとの言葉とか、教義とか、在り方とか・・・その中に探しても、ないからね^^

逆に、「”誰か”のなかには”本物”はないけれど、全ての中に「本物」はあります」♪

・・・いつもパッパラ〜ヽ(=´▽`=)ノで生きているわたしが、なんで突然こんなことを言い始めたのかというとね、まあ、いつもどおり、ただ氣が向いたから書いてるんだけど。笑

「⚪︎⚪︎さんにこう言わられたから、こうしないと」「⚪︎⚪︎さんはこう言ってから、自分はこうなるんだ」「⚪︎⚪︎さんはこう言うから、自分はそうしようと思う」

職業柄、そして、生まれ持った性質柄、人生の打明け話や本当の夢のお話、思い残しなんかの「本音」の
話を聴くことがとても多いわたしは、この「⚪︎⚪︎さん」に人生を左右されているひとたちと、たーくさんお話してきたんです。

ちなみに「⚪︎⚪︎さん」は、特定の個人・団体じゃないですよ。
そのひとに縁の深い「信じるべきもの」「信じられるもの」みたいな感じです。

大抵は、コンサルやカウンセリングやってたり、見えない世界のことをやっていたり、何かの専門家だったり、たまに宗教団体だったり。
そんな人たちの名前があがることが多いんだけど。

問題は、わたしにそう言いに来るひとたちの顔が、どうみても「なんか吹き溜まってない?」って言いたくなるような表情であったこと。

でね、話を聴いていくわけなんですけど、基本的にいのちに対してマニュアルをつくらないわたしが、あるパターンを発見したのです。

すなわち「尊敬するひとの言いなりにならないと自分を愛せない症候群」とでもいうのかな?

それをみて、単純なわたしはそのまんま、感じたまんまを伝えるんだけど、そうするとね、なんでかみんな、笑いながら泣きだすのね。笑

たまに怒るけど、最後は泣いて笑うのね。

それをみて、わたしは感じたんです。

「ひとからどんなことを言われても、どんなにありがたい言葉をもらっても、助けてもらっても、よくしてもらっても。どんな時も、病める時も健やかなる時も絶望した時も希望に満ち溢れた時も。どんな時も。いちばん。いちばん!!!自分といちばん一緒にいてあげているのは、自分なんだよ。自分自身の氣持ちを、いちばんわかってあげられるのは。受け入れてあげられるのは。そのまんまを認めてあげられるのは。誰がなんといおうと、自分自身なんだ」

って^^

うまく人生を生きようと思ったら、先人のアドバイスは本当に助けになるし、わたしたちが今生きている世界自体が、先人たちの叡智の結晶でできていて。
そう、しあわせに、美しく、成功して、愛に満ちて生きようと思ったなら。
みんなに助けてもらっていることを自覚して、自分の全ての繋がりに感謝して生きていったなら、それはしあわせなことだよなあと、わたしは思う。

けど。

自分のこころに、曇りがあるのに、その曇りをなかったことにしたなら。
それは、自分につながって、愛を循環させてくれているひとたちが愛している自分を、ごまかしていることになるんじゃないかな?って、わたしはそうも感じています。

憎しみがあるなら、憎しみを認めたらいいじゃない♪
恨みがあるなら、恨みを認めたらいいじゃない♪
嫉妬があるなら、嫉妬を認めたらいいじゃない♪
執着があるなら、執着を認めたらいいじゃない♪

存分に、したらいいじゃない
傷ついて、傷つけられるかもしれないけど。
もしも本当にそれしか、あなたが生きる術がないのなら。
本当にそれしか、あなたが生き残る術が、なかったのなら。

そう、せざる負えなかった自分を、誰にも遠慮することなく許してあげてほしい。
自分自身の愛を受け入れることなしに、他者の愛を本氣で受け入れることなんて、できないから。

どうしようもなく襲ってくる後悔や自責の念の恐ろしさなんて、自分がいちばんよく分かってる。
それでも、どうしようもなく、どうしたって「愛」に突き動かされるから、いのちは続いていくし、「変化」であり続けるのだと思います。

最近はね、「断捨離」ブームで「手放し」ブームなので^^
様々なネガティブワードの中でも、特に「執着」に対して厳しいジャッジをお持ちの方がとても多い氣がしていてね。
それをみていて、わたしは言いたくなったのですよ。

「思う存分、執着すればいいじゃなーい!ヽ(=´▽`=)ノ」

ってね*^^*

とても人間独特な、ネガティブな想いが理解できないひとは、一度、ネガティブイメージを引き受けている言葉・音たちと会話をしてみたらいいと思うんだけど(わたしは氣が向くとやってる^^)、全ての言葉って、生まれた意味があってね。人間の放った思いを引き受けているんだよ。

だから、他のひとの在り方を切り捨てるような言い方をするほど、「執着」という言葉に執着しているひと〜〜〜〜〜!!

いっぺんしっかりがっつり自分の思いに「執着」しつくして、まず自分自身の「おもい」に決着してしまえヽ(=´▽`=)ノ

執着や執念は、そのネガティブイメージの方じゃなくて、それを生んだ純粋な思いの方にフォーカスし続けていくと、燃える炎を灯す力になるから。

せっかく自分の中に生まれたエッセンスなんだもん。
炎の元だもん。
「⚪︎⚪︎さん」の言葉に、人がネガティブイメージからあなたに渡したエネルギーに「執着」して、本物のあなたを消さないで!!!
どうかどうか、自分の、純粋な炎を、受け入れてあげてね。

そうしたら、あなたの中にある後悔も、思い残しも、「変化」の中のエッセンスでしかないことに氣がつくと思うんだ。
点火の炎は、他の誰でもない自分が持っているから。

あ、ちなみにコレは、「執着したいのに他の人の言葉で執着はダメだ」と自分を押さえつけている人用のメッセージで、そもそも執着に興味ないひとに「執着しろ」って言っているんじゃないですよ。
間違っても、「執着すればあなたはしあわせになれます」っていうのとも違うよ。笑

近い言葉であらわすなら「あなたは、執着することすら、自由だよ」ってことです。
で、もし「執着」するほど強い想いを抱えて生きているなら、押さえつけるよりも、執着したい氣持ちを自分で受け入れてあげた方が、楽だし健全だし純粋な炎でお炊き上げされますよ♪ってことを伝えたかったの^^


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あなたは一体、なんのためにそれを抱えてきたの?

なんのために、それを抱えて、ここまで歩いてきたの?


”なかったこと”にすることは、一見、しあわせなのかもしれない。
けれど、失ったように見えるあなたの一部は、いろんな形で、この世界に残り続ける。

”あなたの一部”を、恐れないでね^^

どんな一部でも、どんな感情でも、どんな在り方でも。
それを恐れてたまらなくなってしまう氣持ちすら、全部大丈夫だから*^^*


⭐︎おまけ⭐︎
ひさびさの宇宙ラジオ、今回はなんと映画が放り込まれましたヽ(=´▽`=)ノ
しかもね、PC開いていたら、夜中に、突然、なんにもしていないのに、予告編が開いて流れ出すという怪奇現象で、わたしはこの映画の存在をしりました。笑
もう超怖かったよね。
たまにあるんだけど、もっとこう、お友だちの口づてに聞くとかさ、街のテレビのCMで流れるとかさ、あると思うんだ・・・

でも、インパクト大だったので観にいきました*^^*
一回じゃ受けとりきれなかったので、この四日の間に、二回観た。笑

「新海誠監督の”君の名は”」

アニメの恋愛映画という範疇を超えた、いろんな要素の含まれた映画です。

ピンときた方は、ぜひみてみてね♪



RADWIMPSの劇中歌も、どれも良かったです^^
今日はその中から、「前前前世」をお届けします♪


「やっと目を覚ましたかい それなのに目も合わせやしないんだい」


自分の本音にきづいていたなら、もう、誰にも遠慮することなく、しっかりと見つめあっていこう

今を生ききってこそ、「前」も生きるし、すべてはココから始まって、ココから変化していくのだから♪