先月、父が亡くなりました。

 

今回は、どう頑張っても明るく締めくくることができないので、重い話しが苦手な方はそっと閉じてください。

 

 

 

以前に、肺の病気を患っている父とリハビリの病院を訪れたことを記事にしました。

 

 

 

 

病状が悪く、リハビリを受けられずに帰宅しました。

 

その2日後の朝。

 

呼吸も苦しく、心拍数が高かったので、救急車で病院に運ばれました。

 

母からの連絡を受けて、私も急いで病院へ。

 

待合室で4時間待って、ようやく父に会えました。

 

私を見て、

 

「みちよも来てくれたのか。ありがとう。」

 

「お腹空いたから、コンビニでお茶と何か食べる物買って来てくれる?」

 

いつもの調子の父で安心しました。

 

ここ最近は、食欲がなかったと聞いていたので、「お腹が空いた」と言われて嬉しかったくらいです。

 

その日は入院の手続きをして、母と「何かすごく元気そうだったね。」と話しながら帰りました。

 

 

 

 

次の日、「お見舞いに行くけど、何か欲しいものある?」って電話をしたら、

 

「シャトレーゼの小豆のアイス!今日はいいけど、来週はケーキも買って来てよ。」

 

入院前よりも元気な様子にホッとしました。

 

 

 

翌週には、先生から「そろそろ退院できる」と伝えられました。

 

そして、

 

「以前にリハビリに行った病院から、転院という形で受け入れ可能という連絡が来ています。どうされますか?」

 

と聞かれ、父は「ぜひリハビリに行きたいです。」と答えていました。

 

「専門の病院でリハビリをしたら、きっと呼吸が楽になるね。」と父と話しました。

 

 

 

 

父の入院をしていた病院は、週末は面会ができません。

 

土日を挟んでまた翌週病院に行ってみると、今度は明らかに具合が悪く、話すのも辛そうでした。

 

父は「誤嚥性肺炎」になってしまっていました。

 

食欲がないながらも、リハビリのために頑張って食事をしていたのに。

 

誤嚥には、父もすごく気を付けていたのに。

 

 

 

退院に向けて、母は私と準備をしていました。

 

母と一緒に介護用の車いすやパジャマを見てから病院に行ったその日に、医師から肺炎になっていると告げられました。

 

「意識がなくなるかもしれないから、早めに他のご家族にもお見舞いに来てもらってください。」とも。

 

そう言われた直後に、父に会ったらもう何て言ったらいいのか分からず。

 

しかも、面会時間も残りわずかで。

 

「パパ、また、明日来るね。じゃあね。」としか言えませんでした。

 

「ありがとう。じゃあな!」と父は手を上げました。

 

 

次の日の朝8時に、病院から連絡があり、

 

「まだ意識があるので今のうちに来てください。」

 

母、兄、妹、私が急いで行きましたが、私たちが着いた頃にはもう意識はありませんでした。

 

父は話すことはできませんでしたが、数回目を開けたので、家族が揃っていたことは分かったと思います。

 

個室だったので、父の好きだった007のサントラを流しながら、みんなで敢えて最近あった楽しい話しをしました。

 

面会時間が16時までのところ、17時まではいさせて貰えたのですが、その後は何かあったら病院から連絡するので帰るように言われました。

 

 

 

兄の車に乗り、実家に着いた途端に病院から着信があり、戻ってくるように言われました。

 

急いで病室に戻り、10数分後。

 

まるで、私たちが戻って来るのを待っていたかのようなタイミングで息を引き取りました。

 

病気になってからずっと苦しくて辛かっただろうし、不安だったと思います。

 

最後まで「生きよう」と頑張った父の目から涙が流れていました。

 

ほんの1週間前までは退院の予定だったのに、人の命はこんなにも儚い物かと愕然としました。

 

 

 

大学生の頃に初めたテニスが大好きで。

 

社会人になっても週1、2回はやっていて。

 

定年後は、週3、4回プレーしていました。

 

「テニスコートで死にたい。」と言っていた父が、病気でテニスができなくなってちょうど丸3年でした。

 

きっと、あの世でテニスをしまくっていることでしょう。

 

 

 

私は3人兄妹の真ん中で。

 

1番手のかからない子と言えば聞こえはいいですが、あまり母からは関心を持ってもらえない立ち位置でした。

 

でも、その分、父とは仲が良かったです。

 

物心がついた頃から、相談相手はいつも父でした。

 

受験や部活、就活の悩みをいつも聞いてくれました。

 

団塊の世代の父の帰宅時間は遅く、24時を過ぎることが多かったです。

 

高校生の私は、父が帰って来るとここぞとばかりに話し続けました。

 

それに対して、一度も面倒くさそうにしたことはなく、いつもじっくり耳を傾けてくれました。

 

娘の中学受験のことも、困ったら父に連絡をしました。

 

最近では相談事もなくなっていましたが、「何かあったら父に聞けば大丈夫」という心の支えでした。

 

大人になると頼れる人がどんどん減って行くのですね。

 

 

父の最期はブログでわざわざ公開するようなことではないし、辛くて後から自分でも読み返さないかもしれません。

 

それでも、ブログに書いたのは、自分の気持ちの整理をしたかったからです。

 

友人と共有できるような話しでもないですし。

 

父と一緒に暮らしていた母と妹の前で、私がメソメソするわけにはいきません。

 

私には、夫や子供がいるので父のことを忘れられる時間がありますが、母と妹はそうはいかないでしょう。

 

私は励ます側に回らなくては。

 

 

次からは、通常のお気楽なブログに戻ります。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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