なんかぎこちないと言うか、

うわずってる感じというか、

どうも無理している様子というか、

 

持っているものをきちんと正しく発揮しないと、いつまでたってもそう感じさせる在り方になってしまうのが人間なのだろうな、と最近考えています。

 

一般的に、

子どもは従順であるべきで、

大人は牽引力があるべきで、

老人は後進に道を譲るべきで、という考え方が浸透していて、

 

その価値観から外れないように、人を促したり、自分を律しながら生きている人が大多数ですよね。

 

 

しかしながら、いくらそうしよう、そうさせようとしても、

 

従順さのある星を持たない子どもは、

従順な在り方を教えてもらっても、それをうまく身に付けられず、どこか不自然な従順さを感じさせるものですし、

 

牽引力のある星を持たない大人は、

人の上に立つ立場を与えてもらったとしても、うまく人をまとめることはできず、パッとしない感じになるものですし、

 

譲歩する星を持たない老人は、

引退後、周りが羨むほどの悠々自適な生活を送っていても、その生活にどこか違和感を感じさせたりするものです。

 

 

また、明るく楽しいおしゃべりができたほうが良いと思って楽しくおしゃべりをしようとするおしゃべりの星のない人のおしゃべりは聞いていていい気持ちがしませんし、

 

病弱な星を持たない人が人の気を引こうと病弱を装うと、かえってあまり相手にされず逆効果になる場合もありますよね。

 

 

とにかく、自分が持っていないエネルギーの種類のものを発揮しようとしても、それはうまく機能しないということです。

 

 

一般的な在り方、つまり、

子どもであれば従順さがあるのが普通、

大人であれば牽引力があるべき、

老人は後進に道を譲るものである、

といったことを頭に入れて気をつけて行動することで、他の人からの強い反発や反感を受けることを避けることはできますが、

 

ことさら一般的な在り方に固執すると、自分のエネルギーをねじ曲げることになり、不自然さが滲み出ることになります。

 

 

社会の中の自分で生きていく時代は終わり、

これからは個人としての自分が社会を作っていく時代。

 

一般的な価値観に合わせることのメリットよりも、

個人が持つ特色を社会に出していくメリットの方がクローズアップされてくる時代へと確実に移行していくのだろうと思います。

今の社会の動きを見てみれば、あちこちですでに変化が起きていることが見て取れるとおもいますが、どうでしょう。

 

これまで抑えつけられてきた、抑えてきた一般的ではない要素は、これからの強みになるはず。

もしもお子さんが「普通」ではないと不安を感じている方がいましたら、

それはこれからの新しい時代を力強く生きていく期待が持てる!ということなので、神経質になる必要はないかと思います。

 

一般的な価値観でお子さん独自の特色をつぶしてしまいませんように。