先週末、シオモニ(義母)が簡単な手術をするために延世大学付属セブランス病院に入院した。
延世大学(연세대학/Yonsei University)は、「SKY」の一つであり、韓国の最高峰エリート大学。
その附属病院である「セブランス病院」の治療レベルの高さ、施設の良さは有名で、全国から患者が押し寄せる。
「手術が終わるまでちょっとロビー見学でもしてようか」と足を向けてみると…。
うわ!
なんかすごい「ラウンジ」だけど…
ひええぇぇ~!ここは植物園か!?
という環境の中にベンチがあちこち置いてあり、
患者やお見舞いの人たちがくつろいでいる。
しかも広い!
↓この植物園(?)の左手に絵画が見えているが…
↓これ、なんとアートスペース。
↓中はこんな感じ。
これ、ゴッホの絵なのだが…。
本物のゴッホの絵画ではなく、実は「ペーパーアート」。
こうしてみると、油絵みたいだが…
↓拡大してみると、こんな感じで、紙で立体感を出している。
「う~ん、なかなかやるねえ」と思っていたら、こんなものではなかった。
↓その横のスペースには、グランドピアノが置いてあるステージまで。
こんなふうに階段状の座席に座って演奏が楽しめるようになっている。
ヒーリング環境、バッチリ!
↓そして、さらにびっくりしたのはこれですよ。
「History of Severance」
なんと、セブランス病院の歴史展示館である!!
そういえば、ずっと昔から「セブランス病院って、なんでセブランスって名前なんだろう?」と思っていたのだが、いまだかつてそれについて調べたことがなかったという不勉強さ。
今明らかになる「セブランス」の秘密。
中に足を進めてみる。
↓いちばん最初に目に入ったのは、この絵画だった。
「エビソンの韓国到着」
1893年6月16日、医療宣教師として派遣されたエビソン一家が釜山に入国した時の様子。
このカナダ出身のオリバー・エビソン博士がセブランス病院設立の中心となった人物である。
うわあ…こうして絵画で見ると、この当時の韓国(朝鮮)に西洋人が登場することのインパクトが強烈に伝わってくるなあ。
イザベラ・バードの『朝鮮紀行』が浮かんできますねえ。
朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)
1,782円
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彼女が朝鮮に訪れた期間が1894(明治27年)~1897年(明治30年)だから、ちょうどこの時期と重なる。(=李氏朝鮮時代の最末期)
エビソン博士の肖像画
1892年9月29日。カナダ・トロント大学における講演会で、朝鮮の医療現場の状況、近代医療技術導入の必要性を訴える講演を聞いたエビソンは、自ら医療宣教師として朝鮮に向かうことを決意する。
エビソン以前にはアメリカ出身のアレンという医療宣教師が存在しており、朝鮮ではじめて近代医療を施した。
展示館の中には、そのアレンの展示スペースも。
朝鮮名としては、「安連」を使っていたようす。
↓アニメで描かれているのがアレン博士。
↓アレン博士が実際に使用した医療道具。
当時、朝鮮には医療専門機関がなかったのだが、1885年、アレンが国王高宗の支援を受けて、朝鮮初の西洋医療院・広恵院を開設。
広恵院はまもなく「済衆院」(제중원/チェジュンウォン)に改称。これがセブランス病院の源流となる。
済衆院には医学校も併設されていた。
↓「済衆院」に関しては、こんなドラマも。
その後、1900年にカーネギーホールでエビソン博士が朝鮮の医療の現状について講演した際、病院設立のための寄付を申し出たのが、アメリカ人事業家・セブランス氏だったのである。
そうして1904年には、「セブランス病院」と改称して韓国最初の総合病院が発足することになる。
1909年には、私立セブランス医学校認可。
1947年、セブランス医科大学に昇格。
1957年、延禧大学校と統合し、延世大学校発足。
…といった流れで現代にいたる。
↓展示されている絵画の中で、特に印象に残ったのがこれ。
李承晩(이승만/イ・スンマン)初代大統領の断髪の様子。
李・元大統領はエビソンに断髪を頼み、断髪の際には涙を流したという。
「近代化」という名のもとに、自らの文化を捨てる瞬間。
その心境はいかばかりだったであろうか…。
さらにすごいストーリーとして、実は韓国の医療博士第一号は、「白丁」(백정/ペクチョン)という当時の最下層の身分出身者であるという事実がある。
1900年、エビソン博士の治療を受けた白丁・朴成春(パク・ソンチュン)は、「息子の瑞陽(ソヤン)に医療を教えてほしい」とエビソンに依頼し、エビソンは実際にソヤンに医学教育を施すのである。
キリスト教の博愛精神をもつ医療宣教師でなければ、当時の朝鮮の白丁という身分の子供に医学を教えるなどということは、現実的に不可能であったに違いない。
展示されているパネルの文章を読むと、朴瑞陽は弟子たちに医学を教える際、「私の中に流れる500年の『白丁の血』を見るのではなく、『科学の血』を見よう」と語ったというが、当時、「白丁という身分出身の師から学ぶ」というシチュエーションがどれだけ困難なものであったか…。
その難しさ、厳しさを超えて教え、学びながら築いてきたのが今の韓国の近代医療である、ということを思うと厳粛な思いにならざるを得ない。
ロビーには、「神の愛で、人類を疾病から解放する」というスローガンが掲げられている。
現代の医療現場がどれぐらい「純粋」であるかはわからないが(やや疑問あり)、しかしこの地における近代医学のスタートは、実に純粋な博愛精神から出発しており、さまざまな人々の善意と熱意により発展してきたのである。
その世界に触れて、言葉で表現するのが難しいが、とにかくなにか厳粛で、荘厳な感覚に包まれる。
「人間のよさ」に触れたようで、自分もその人間の一員であることへの感謝の思いもわくのだが、同時にこれらの人達と比べていったい自分はどうなのか…という疑問も。
私はいったい、この時代に、この地で何をしているのだろうか…といういささか不安な気持ちに襲われたりもした。
それにしても、「病院の歴史」。
これを展示したのは、正解かも。
人間としての心、人間としての根本を揺り動かす力がある。
それこそがまさに医療の根幹だったりするのでは?
もしこの歴史展示館が、そういった治療効果を狙ってつくったものだったとしたら凄すぎる。
ま、きっとそんなことはないと思うが。
…とへんに難しく考えるよりは、シンプルに「日本人にはあまり知られていない韓国の歴史を学んでみましょう!」という次元でオススメしたい。
ちなみに絵画を描かれたキム・コンベ画伯は、国内トップレベルのイラストレータ-。1994年渡米後、躍動感あふれる実写的な技法、透明な色彩で独自の世界を切り開き、アメリカのアートフェスティバルで二十回以上の受賞経験あり。
この展示館では、セブランス病院130年の歴史を13枚の絵画に凝縮しているのだが、このイラストのレベルの高さが展示館の高尚さを支えているのは間違いない。
(まき)