桜がすっかり散ってしまう直前の、

桜吹雪舞う덕수궁(徳壽宮)に行ってきました。

 

 

目的は何か…。

2014年に一般公開された「석조전(石造殿)」の見学。

長年の知人である日本人ママさんと出かけてきました。

 

写真右手に見える建物が石造殿です。

 

これですね。

 

石造殿は朝鮮初の西洋建築の建物で、朝鮮王朝最後の王族(皇族)たちが

実際に生活していた空間となります。

 

この建物内部を紹介してくれる専門ガイドさんがいて、

私たちは午前9時半からの案内を予約。

 

ほんとうは11時ぐらいの見学にして、その後12時15分からの

「正午音楽会」を鑑賞。先着100名様に無料配布のスタバの

コーヒーをゲット!という予定だったのですが、前日に電話を入れた

時点ですでに予約はいっぱい。ゲッソリ

 

9時半からの案内だけが、ちょうど二人だけ空きがあるとのことで

朝から元気に徳壽宮!となったのでした。爆  笑

 

この見学をしたがって予約を入れてくれたのは同行した日本人ママさんで、

私は当日、その場に行くまでどういう案内だかも知らずに行ったのですが、

案内が始まってみると、テーマは「大韓帝国」建国当時の歴史的状況

 

これは日本人としては絶対に知るべき歴史…でありながら

同時に日本人として厳粛にならざるを得ない時間だな…と

覚悟すると同時に、おそらくは忙しさを理由に、私自身がこのような

見学案内を予約することはなかっただろうことを思うと、

誘ってくれたママさんにとっても感謝感謝!でした。

 

いざ、案内スタート!

 

朝鮮初の西洋式建築物は、イギリスの建築家によるデザイン。

左右対称が特徴の19世紀イギリス風。ここは、ロビーに続く部屋で

王への謁見を待つ人々が待機する部屋。

 

 

 

 

朝鮮時代はわりと写真が多く撮影されて残っており

そのために皇族の容貌や当時の様子を知ることができる資料が存在する。

 

映像で見る朝鮮末期の様子。

 

ここが皇帝に謁見する部屋。

 

さすがに豪華できらびやかな雰囲気ではある。

 

大韓帝国・皇室家系図。

このあたりから日本人には厳しい内容が登場しだす。

 

日本への強制留学。

日本の皇室との政略結婚…。

 

すべてがドラマや映画などでなく、現実の話である。

 

2階に向かう階段。

石造殿の展示物は撮影はOKだが、触るのはいっさい禁止。

「唯一触っていいのはこの階段の手すりだけなので、思い切り触ってください」

というガイドさんの言葉が笑いを誘う。笑い泣き

 

2階に移動。

 

皇族の方々の人生や末路などについて語られる。

 

皇族の方々はほぼ日本人と政略結婚させられた中、

唯一それに反抗して韓国人との結婚を貫かれた方、

広島で生活されて被爆死された方、統合失調症を発病して苦労された方など、

心痛い話が続く。

 

ここが、皇帝の寝室。皇帝だけが身に付けることができる

「黄色」のシーツやカーテン。

 

皇帝の書斎。

回転式の本棚がしゃれた感じ。

 

こちらは皇后の居間。

 

皇后の寝室。

 

ここは見学の人気スポット。2階のテラスからの展望。

手すりは危険なので絶対に触ったり、寄りかかってはいけませんと

いうことでした。

 

しばし自由撮影の時間。

 

 

 

そして、見学後半。

いよいよガイドスタート時に案内の重要ポイントとして暗示されていた

「ハーグ密使事件」の説明へと。

 

 

1905年に締結された第二次日韓協約(もしくは、乙巳<いつし>保護条約)が

正式な条約ではないことを海外に伝え、自国の外交権回復を訴えようとする

試みだったのが…。

 

この「第二次日韓協約が日本側の強制によるもので、

正式な条約ではなかった」という立場が、今の今まで日韓の歴史に

影響を与え続けている一つの大きなポイントなのだなあ…と

いうことをあらためて認識。

 

しかも、韓国側からすると、条約に皇帝の印が押されていないなど、

(皇帝の最終許可が得られていない)「正式ではない」という

理由がしっかり存在する。

 

いやいやいや…。

 

当時のその状況に生きていなかった、歴史の現場を知らない人間としては、

どちらが正しいのか、何が正しいのかを判断するのは難しいが…。

 

ただ言えるのは、朝鮮(大韓帝国)という国が、民族が、

日本という国により大きな痛みを体験したことは間違いないということ。

 

是非や善悪より、「痛み」というものがどうしようもなくあったという事実。

 

日本人として、その痛みを理解することだけは決して忘れては

ならないのではないかと思う。

 

見学者の人数は20名で、私たち二人を除いた方々は皆、韓国人の

ようだったが、私たちが時々日本語でも会話していたので、

私たちが日本人だということは分かっていたと思う。

 

おそらく、20年ぐらい前であれば、このような案内を日本人が

韓国人と共に聞くのは難しかっただろう。韓国人の冷たい視線に

とても耐えられなかっただろうと思う。(もしくは、はっきりと

悪口を言われたりもしたと思う)

 

でも、昨日はまったくそういったことはなかった。

 

ほんの瞬間でも、日本人である私たちに対する特別な視線といったものは

感じられなかった。

 

20年前の韓国を知っている者としては、それがとてもありがたくもあり、

「時代は変わったのだな。変わっていくのだな…」という感じを強く受けた。

 

 

大食堂。

 

 

 

 

こちらは小食堂。

 

 

これは当時、この石造殿の家具を手がけたイギリス・メイプル社のカタログ。

 

現存している写真資料や、メイプル社のカタログをもとに

失われていた家具などを再現。

 

こうして70分にわたる案内は終了。

 

ガイドさんに「日本人も来るんですか?」と訊いたら、

「日本の方も中国の方も来ますよ」とのこと。

 

そうか。ちゃんとこの歴史を学びに来る日本人もいるんだね。

 

徳壽宮から少し離れた所にある重明殿(중명전)にも足を運びました。

 

 

入ってすぐ左手の部屋に、実物大(実物より少し大きめ?)の蝋人形による

第二次日韓協約締結時の様子が再現されたシーンが。

リアルすぎてかなり怖い。滝汗

 

 

この写真の左に書いてあるように、韓国ではこの条約のことを

「을사늑약(乙巳勒約)」と呼ぶ。

 

「勒約」とは、「強制的に結ばされた条約」という意味。

 

 

こちらが条約の全文。

最後の十二条は、「この内容は永遠不変である」となっている。

 

それが1965年の日韓基本条約により解消されたというのが日本の立場。

韓国では、そもそも条約自体が正式ではないので、条約そのものが

無効という立場。話がかみ合わないはずです。

 

 

 

 

 

 

久々に、「私は日韓の狭間にいるんだった」ということを自覚した

貴重な時間となりました。

 

 

見学終えて、徳壽宮通りを歩きながらオシャレなサンドイッチ屋さんを発見。

同行したママさんが、「ここは絶対おいしい!ピンときた」というので

入ってみたのですが、ほんとに美味しかった。びっくりびっくりびっくり

 

12時には行列ができてました。

 

 

 

 

そして、結局は予定どおり12時15分からの正午音楽会を聞きに

再度、徳壽宮に入場。(1,000ウォンの入場券で何度でも出入り可能)

 

 

スタバの無料・アメリカーノもしっかりゲット。爆  笑

 

その後、さらに光化門まで歩いて教保文庫で本のお買い物、

さらには、お隣のDタワー内にあるお気に入りのケーキ屋さんで

ケーキをパクつきながらおしゃべり。ニコニコ

 

久々のソウル満喫デーを過ごさせていただきました。ラブ

 

(まき)