昨秋、伯母が、私の父を訪ねてくることになっていました。

伯母の家と私の実家は、新幹線の距離。

伯母とどこでお食事しようか、とか、どこか観光もしてみようか、とか、私も父と一緒に楽しみにして、計画を立てていました。


ところが。
予定の日がくる前に、従兄弟たち(伯母の息子たち)から、伯母が倒れたと、緊急の連絡が入りました。

伯母から「なんだか苦しい」と連絡を受けた近居の次男が駆けつけたとき、伯母は部屋で倒れていて、意識はなかったそうです。
救急車で病院に運ばれ、すぐに手術。


連絡を受け、私の父は、半ばパニックになりました。
何度も従兄弟に電話しようとするのを、「今できるのは祈って待つことだけだから…」と落ち着かせ、父は神棚に手を合わせていました。


お医者さまが夜中まで頑張ってくださった手術後も、伯母の意識は戻らぬまま、集中治療室でお世話になっていました。

先生方からは、意識が戻らないかもしれないこと、覚悟してほしいことを告げられ、従兄弟たちは仏壇の亡き父(伯父)に祈っていたそうです。


1週間して、伯母は奇跡的に意識を取り戻し、先生方を驚かせました。

ひと月ほどのリハビリを経て退院、私は父を車に乗せて、伯母のお見舞いに向かいました。


そのお見舞いの際に、私は伯母から、たいへん興味深い話を聴きました。


伯母は、痛くて苦しくて、助けを呼ぶため息子に電話したけれど、それ以降の記憶はふっととぎれて、その先はずっと、夢をみていたのだそうです。

夢のなかでは、痛くもなければ、苦しくもない、いたって元気だったのだそうです。

ただ、どこにいるのかが、わからない。
ここはどこだろう?と歩いていたら、山が見えてきたのだそうです。


この山、越えるか、戻るか…。
伯母は延々、迷ったそうです。
どうしようか、どうしようかと、うろうろしていたとき、山のふもとに、ものすごくきれいな女性がいることに、その女性がこちらを見ていることに、伯母は気づいたそうですが、その女性は、伯母の見知らぬ人だったそうです。


自分のそばには誰もいない、急かされることもないので、迷い続けていたら、山に「あるもの」が見えて(ここには記せませんが)、それが決め手となり、伯母は「戻る」と決めたそうです。


戻り始めてしばらくすると、なんだか身体が痛いような気がしてきて、だんだんと夢から覚めて、あれ?ここはどこ?と思い、キョロキョロ。
どうやら自分は病院にいるのだな、と気づいたのだそうです。

そこからは、痛いやら、喉が乾くやら、たいへんだったそうです。


あの夢がなんだったのかは、今でもさっぱりわからない、ただ、この山に行ったらいかん!戻ろう!と決めたんだ、そう言っていました。


最初私は、伯母が、誰のアドバイスでもなく、進路を自分で決めたこと、見知らぬきれいな女性が伯母を見ていたことが、印象に残ったのですが、

伯母が意識不明の間、従兄弟がなんと祈っていたかを聴いたとき、はっとしました。
従兄弟の祈りが、思わぬ形で(あるものとして)、伯母の夢に反映されていたことに気づいたからです。


伯母ひとりの体験談から「そういうことか」などと、安易なことを言えるはずもないのですが、私には、行く道は自分で決めること、自分を見てくれている美しい存在がいること、自分への祈りが、自分のもとへ届けられること、それら3つのことが非常に心に残るお話しでした。

今、想うことは。

私が、誰かのために、真心から祈りたいとき。
私の心からの祈りは、その誰かに届けられる。
その誰かには自由があり、ご自身で、何をどう決意なさるのか、それは私にはわからないことだけれど。
その誰かには、その人を見ていてくださる、美しい存在がいるらしい。
きっと、すべてが、大丈夫…。


このような不思議な話を、伯母が私にも知らせてくださったことがありがたく、ずっと忘れないでいよう…そう思っています。