実家の母の花壇が、自然のなりゆき任せになってきた様子を見て、
(「くまさんと、クローバー」)
母も歳を重ねて、体力的にも精神的にも変化しているのだな、そう思うようになりました。
母は、これまで毎日、小さな庭のなかすべてを見ていました。
見える範囲がUncontrollable(=制御できない、管理できない)になることを心底嫌う人でしたから、自分で植えていない草花を草むしりするのはもちろんのこと、自分で植える植物も、自分の理想より大きくなり過ぎそうな株は、根を小さな箱に植えてから地植えして、地面に直接根が張るのを防いできました。
育てるのは上手いようで、皆、枯れることなく、かつ、母の好きな大きさに、育っていました。
そんな、母の庭の片隅で。
またしても私は、これまでに見たことのない光景を見ました。
ドクダミさんの、花…!
母が言いました。
「絶対に(ドクダミの花を)咲かせてなるものか!と頑張って(草むしりして)きたけど…。」
「とうとう、咲いちゃったわー。」
「でも、嫌いじゃないよ。好きだよ。可愛いし。」
母がドクダミさんを、受け入れてる…。
「咲いちゃったし、これからは、仕方ないよねー。」
…?
仕方ない…?
仕方ない…??
母の口から、その言葉がでるなんて…!
びっくり!
昨年の夏、炎天下で草むしりをして体調を崩した母と、私は言い争いをしました。
危ないよ、秋になってから!と言う私に、母は、
「ちょっとでも放っておいたら、すぐのびて、たいへんなことになっちゃうんだから!」
と、譲りませんでした。
結局、私が母の代わりに、蚊取り線香をモクモクさせながら、汗だくで数回草むしりしたのですが、あろうことか、義妹まで私の知らない日に駆り出されていたことを知り、後日、私はこっそり義妹に謝りました。
義妹は、「大丈夫ですー。いつでもお声かけてくださいね」とにこやかに言ってくださり、心からのそのお声、その優しさが、胸にしみました。
そうまでして、義妹に電話までして、母が管理したがっていた、母のお庭。
それが、今、
ドクダミ畑ー。
ちょっぴり切ない心地になりながら、私は、「草むしりしようか?」とは、言いませんでした。
ドクタミの花を、「嫌いじゃない、好きだよ、可愛い」、そう言った母を、そっと、見ていました。