小学生の頃の私は、悩み事に埋もれたような、子どもでした。

 

父の仕事の都合で、度々転校し、生まれつき髪の色が茶色かったため、初めましての挨拶直後から、クラスメイトに「外人、外人」と、言われました。

 

その言葉に悪意が含まれていることに気づけず、「私、外国人じゃないよ」とクラスメイトに話して、笑われて、なお、そこにある差別感に気づけず、なかなかクラスの輪にはいることが、できませんでした。

 

小学3年生だった頃、下校時に、いつも、ある場所で待ち構えている男の子二人組がいて、背負ったランドセルを引っ張られたり、押されたりしました。

一緒に帰るお友達もいなくて、走っても追いつかれ、反撃できる性格でもなかったため、毎日、ひとりで、よろけながら歩いていました。

 

学校へ行くのが怖くて、寂しくて、でも、母に「休みたい」とは言えなくて、毎日トボトボ、通っていました。

 

あの頃の私は、自分が自分であることを、辛いと思っていました。

「外人」という言葉に込められた悪意に気づいてからは、特に、せめて髪の色が黒かったらよかったのに、と悲しく思っていました。

自分が自分として学校に行くことに、疲れ果てていました。

 

私は、どうして、私なのだろう。

私じゃない誰かにも、私のような意識があるはずなのに、どうして私は、私じゃない意識になることはなくて、いつも私なのだろう。

いつまで私は、私のままなのだろう。

 

通学路で泣きたいのを堪えて、家に帰り着くと、誰にもきけないそんな疑問を抱えて、苦しんでいました。

 

考えても考えても、目を閉じて自分の身体から離れようとしてみても、意識を自分からはずすことは、できませんでした。

 

 

いつしか、「早くこの世からいなくなりたい」と、思うようになりました。

 

近くの、とある施設に、なぜか柵のない高所があり、どうしようもなくなったら、あそこへ登れば・・・と、考えていました。

 

でも、そこへ登って・・・、もしこの世からいなくなることができたとしても、「自分」が「どこにも」いなくなることはできるのか、ということにもまた、疑問を持っていました。

 

自分をなくすることはできないのではないか、そんな気がして、仕方ありませんでした。

 

 

 

ランドセルごと振り回されて、盛大に転んで、もう学校へ行くのは無理かもしれない、と思ったある日、自宅でひとり、いよいよ追い詰められた気持ちになり、あの高所を思い浮かべ、登ってみようかと、思い詰めました。

 

 

私は、誰もいない居間で、座っていました。

同じ明日はもういやだ、今、行くしかない、と思いながら、立ち上がる勇気がでなくて、固まったように座っていました。

 

目に前に、障子がありました。

 

初冬でしたので、昨年末に父がきれいに貼り直してくれた障子にも、いくつか、破れができていました。

桜型に切った障子紙で、母がそれを塞いだ箇所もあれば、そのままになっているところもありました。

 

大きめの破れがある枠を見ているうちに、まるで私みたい、と思えてきました。

 

隣の枠には、傷が、ありませんでした。

 

私は、どう頑張っても、隣の枠の意識にはなれない、なぜなんだろう、と、悲しくなりました。

私はずっと破れた枠のままだなぁ・・・、涙があふれて、やっぱりあそこに行ってみようと立ち上がった時、なぜだか急に、視点が変わり、目の前が、障子の裏側になりました。

 

あれ?

 

障子の裏に、枠は、ありません。

 

紙は、区切られることのない、一枚の、大きな紙です。

 

私の破れ、表側でそう思えた、あの枠の中の傷は、ただ、ひろがった紙全体の傷としてありました。

 

桜型で手当された、あちこちの傷跡も、すべて、紙全体のものでした。

 

あっ、と思い、涙がとまるほど、驚きました。

 

死んだら、こちらの世界になる、突如として、そう思いました。

 

死んでも、私はなくならない、そのままある。

私の傷も、だれかの傷も、全体のものになる。

 

それがどういうことなのか、小3の私にはよくわからないまま、それでも、枠のない障子の裏の有様に、強い衝撃を受けました。

 

しばらくの間、頭がぼーっとして、立ちすくんでいました。

 

 

 

高いところに登りに行くのは、やめました。

 

そして、行ってはいけない、登っても結局、何も変わらないんだ、と、思い始めました。

死んでも、私はなくならないから、なにからも逃げられない、と思うようになりました。

 

 

 

急に現れた障子の裏側は、私の命の恩人のような存在ですが、一方で、私から、私の心の最後の砦、逃げ場だった高所を失わせ、私は、途方に暮れることになりました。

 

人生のかなり長い時間を、私は途方に暮れながら、歩きました。

 

 

 

(誰にも気づかれず、水撒きもしてもらえなかったのに、去年のこぼれ種が、花を咲かせてくれました)

 

 

 

トボトボと、心細く、それでも歩き続けた道で、私はいろいろな経験をして、多くの人と出逢い、たくさんの本とも出逢って、学びを得ました。

大人になり、あの日私を引き止めてくれた障子の裏側の記憶を、ふと、思い出すようになりました。

 

あの時、突然、私に障子の裏側を見せてくださったのは、いったい、どなただったのだろうか。

しずかに思い巡らすとき、涙が、こぼれそうになります。