大人になった私は、ある日、実家に帰り、母とテレビを観ていました。

昔の日本の光景が、画面に、モノクロで、映しだされていました。
うっすらと轍(わだち)ができた砂利道が、ずっと先までのびている映像に、突然、小石をじゃりじゃり掻き分ける自分を、思い出しました。

思わず、隣の母に、「そういえば、昔ー」と、50円玉を派手に飛ばした自分の失敗を、笑い話のように話しました。

あのおっちょこちょいな出来事を、なぜか真顔で聴いている母がいて、不思議に思いました。

母は、「そんなことがあったんだねぇ。。。見つからなかったなんて、かわいそうに!」と言いました。

さらに、「それで、アイスは、ちゃんと買った?」と、きいてきました。

予想外の展開に、私は驚き、「ううん、買えなかった。。。」と、そのまま言ってしまいました。

「え、なんで?」

母にきかれて、なんと返せばいいのかわからず、「えーっと。。。」と言いながら、その先、言葉に詰まりました。

母は怪訝な顔になり、「お母さん、アイス代、またあなたにあげたのよね?まさか、渡してあげなかった?」
私は、おそるおそる、「お母さん、ちょっと怒ってて、もらえなかったよ。。。」と言いました。
「えぇーーーっ!!」母は、びっくりするような大声を上げました。

「私、あげなかったの?本当に?」と、母は言いました。

「そんな!探してもなかったのに!かわいそうに!」と、言いました。
「なんで私は、そんなふうにしちゃったんだろう?かわいそうなことしたわ。。。悪かったね」母はそう言って、おもむろに、財布から50円玉を取り出し、「はい!」と、私に、差し出しました。

え??? 今???
躊躇した次の瞬間、でも、これを受け取った方がいいのだという気持ちがわいてきて、手にのせました。

「ありがとう」と、私は母に言いました。

あの日、砂利道で飛んでいった50円玉は、30年の歳月を経て、また、私の前に現れました。
つけるべきお小遣い帳も、買いたかった30円のアイスも、替えたかったお札も、私にはもう、ありませんでした。

でも、50円玉は、「かわいそうに!」という母の言葉をつれて、私のもとへ、戻ってきてくれました。