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高橋亜希子とゆかいな仲間たち★

小さい頃、友達と近所で遊んでルンルン気分で家に 帰ると

母が血まみれで倒れていた・・・。

そんなことが大抵1か月に1回は起きるというまるで ドラマのような生い立ちの私です(笑)

私の母は、なんでもないときはバリバリのキャリア ウーマンっ!!

その姿からは誰も想像がつかないほど、仕事熱心で 素敵な女性。

友達みんなが羨ましいという理想的な母でした。

けれど、月に一回別人に変身してしまう(汗

小さい頃の私は、別人に変身する母から逃げること しか出来ませんでした。

お酒に酔って叩かれること、奇声を発すること、ガ ラスを割ること、その行動すべてが恐怖でしかあり ませんでした。

そんな風に月に1回壊れてしまう母を強く恨んだ時 期もあったように思います。

今は、同じ母親という立場に立って少しは母の気持 ちが理解出来るような気がしています。

精神障害だったのか、PMSだったのか、その原因はわかりません。

母自身もコントロール出来ない何かと戦っていたに違いありません。



小さいころから母が突然そんな風になるもんだから、私が七夕でお願いするのはいつも母の病気が治りますように・・・でした(笑

今の私が母に思うことは、まじめすぎたのかなぁと か頑張りすぎてたのかなぁということ。

それに少しでも寄り添って思いを共感して苦しみから解放してあげたかったと思います。

本当に人に尽くすのが大好きだった人。

人にしてあげることばかりで、いつも自分のことは 後回しな人でした。

今日はそんな母の誕生日でした。

倒れてから、細い体はさらにやせ細って、しわも増 えて一体何歳なのかわからなくなってしまいました( 笑;

病院で寝たきりになった母は、私のことを認知できているのかもわかりません。

今日は、ベッドの上で母の隣に寄り添って子どもたちの話やお父さんの話、私の仕事の話をしてきました。

ちょうど一年前、まだ母がわずかに元気だった時、 二人で始めようと決意したことがありました。

母は、ためらうことなく私の思いに力を貸してくれ ました。

今思うと、母自身が病に倒れることを自覚しての行 動だったのかな、と感じます。

ただ、本当は母も一緒であったはずの二人の夢は二 人で叶えることが困難になりました。

私の力以上のことを成し遂げられるか?

自問自答の日々が何日も続きました。

逃げようか、やめようか。

恐怖で寝れない日も何日もありました(笑

私は30年間、母を救うことが出来ませんでした。

けれども、もしどこかの誰かが救われることがあるなら・・・

それがすべての始まりです。

立ち上がった時は、一人でした。

けれど、今は沢山の素敵な方たちが力を貸してくだ さっています。

健康でいるということは、案外難しいものなのかもしれません。

カラダのどこにも悪いところがなくても心の調子が 良くないのは、健康とは言えないですよね。

いつまでも家族みんなが笑ってそばにいられる、

そんな当たり前の毎日が沢山の方たちの当たり前であってほしい。

私と母はそう思っています。





近日中に大事なご報告が出来ると思います。

本当にいろんな方が、長くこのブログを読んでくだ さっていたことを感謝しております!

もうそろそろ新しいブログの誕生です。

何年続けたかな(笑

恥ずかしいことばかりのブログですが、過去の私か らの激励を受けるためにこのままにしておきます ね!