本日も、とあるテーマでカードを引きアートしてみた。
この絵を描いている時は、なぜか過去の自分を思い出したり
当時、自分が本当にやりたかったこと(味わいたかったこと)がなんとなくみえた。
クレヨンやクレバス、色鉛筆でも、黄色のちょいちょい使用頻度が高くて使おうと思っても使い切ってなかった
(色鉛筆は長いからまだある)
これは…「黄色」を吸収しているんだなと、感じた。
「黄色」の言語には「楽しい」「子供」というキーワードがある。
反対に「恐怖」「混乱」というキーワードもある。
(言語の一部、他にもあります)
そして、第3チャクラのカラー
で、私ね、
「楽しいことをしちゃいけない」という制限を自分につくっていたんだな。
「楽しいと感じちゃいけない」みたいな
んで、今はないけれど「黄色」が嫌いだった。
明るくて、眩しい。
「楽しいことがわからなくなった」と、思っていたけれど、実は逆で
「楽しい、と素直に感じないようにしていた」のだと思う。
(他の喜怒哀も、きっと)
今だからこそ、感じる。
少し前に、黄色をたっぷり使ったアートを描いた。
その時、黄色をたっぷり塗ることが少し怖かった。
いつもは、ドンドン絵の具を取り入れて描き進めるのに、全体を黄色に塗るところは、しばし、ためらいがあった。
しばらくしてから、失敗してもいいと自分に伝えてから、塗り進めた。
一瞬、止まったが思い切って塗ることに集中した。
ほぼ、黄色一色になったアートを見て
なんだか、わからないけれどうれしくなった。
一線を超えれた、みたいな感覚。
黄色をちょいちょい使うのは自分の中へ枯渇気味だった、黄色のエネルギーをチャージ?しているんではないだろうか?と。
アートを描くことは、とくにハートの領域に働きかけ、「感じる」ことに素直に感じて、認めていく作業でもあるかなと思う。
つづく
この絵を描いている時は、なぜか過去の自分を思い出したり
当時、自分が本当にやりたかったこと(味わいたかったこと)がなんとなくみえた。
クレヨンやクレバス、色鉛筆でも、黄色のちょいちょい使用頻度が高くて使おうと思っても使い切ってなかった
(色鉛筆は長いからまだある)
これは…「黄色」を吸収しているんだなと、感じた。
「黄色」の言語には「楽しい」「子供」というキーワードがある。
反対に「恐怖」「混乱」というキーワードもある。
(言語の一部、他にもあります)
そして、第3チャクラのカラー
で、私ね、
「楽しいことをしちゃいけない」という制限を自分につくっていたんだな。
「楽しいと感じちゃいけない」みたいな
んで、今はないけれど「黄色」が嫌いだった。
明るくて、眩しい。
「楽しいことがわからなくなった」と、思っていたけれど、実は逆で
「楽しい、と素直に感じないようにしていた」のだと思う。
(他の喜怒哀も、きっと)
今だからこそ、感じる。
少し前に、黄色をたっぷり使ったアートを描いた。
その時、黄色をたっぷり塗ることが少し怖かった。
いつもは、ドンドン絵の具を取り入れて描き進めるのに、全体を黄色に塗るところは、しばし、ためらいがあった。
しばらくしてから、失敗してもいいと自分に伝えてから、塗り進めた。
一瞬、止まったが思い切って塗ることに集中した。
ほぼ、黄色一色になったアートを見て
なんだか、わからないけれどうれしくなった。
一線を超えれた、みたいな感覚。
黄色をちょいちょい使うのは自分の中へ枯渇気味だった、黄色のエネルギーをチャージ?しているんではないだろうか?と。
アートを描くことは、とくにハートの領域に働きかけ、「感じる」ことに素直に感じて、認めていく作業でもあるかなと思う。
つづく