私は自分が【頑固】だとは思っていませんでした。

いえ、正確には【頑固】だと認めたくなかったのです。

【頑固】という言葉が嫌いで

【意思が固く強い】と自分では言い方を変えていました。


【頑固】=私の大嫌いな父親 という公式があったので
絶対に同じ人種になりたくなかったのです。

でも、私は【頑固】でした。

こだわりが強くて、人の意見には簡単に耳を傾けませんでした。

これが、うつ病の原因の一つになっていた・・・と今は思います。


自分の直すべき欠点など指摘されると
「私はこんなに頑張ってる。私に悪いとこなんてない」と意地を張っていました。

でも、頑張ってるかどうかが問題ではなくて
どこに向かって頑張っているかに焦点を当てることが必要だと
最近になって、気づきました。

【頑固】が悪いことではありません。

こだわりを持つこともいいと思います。

ただ、強すぎるこだわりは自由を奪います。

仕事ひとつとっても
「これは自分がやる」と意地を張ることで
人に頼めばすむのに、自分が抱え込み流れが滞ったり
自分だけが忙しくなります。

それで「自分だけが忙しい」とイライラしていたこともありました。

人と協力することも時には必要なんだなって、今の私ならわかります。

【自分がやる】と意地を張っていた裏には
<私でなければできない>=<高い評価を得たい> という欲求があったのです。

他の人がその仕事をできてしまうと
私が苦労してきた意味がなくなり、
自分の価値がなくなる・・・と思っていました。

要するに【自信のなさ】が出ていたのです。

でも、会社で誰でもできる仕事をしていたら
【評価】なんて、よほどのことがない限りしてもらえるはずないし
そもそも対価として報酬を得ているのだから
【評価】をもらおうとしていることが間違っていました。

認められたくて仕事をしていた・・・ことがようやくわかりました。


自分のことは自分が一番知っている気がしているだけで
他人から見た自分は、自分で思っている自分とは違う。

長所も短所も、
主観的に見たものと客観的に見たものは違うのに
他人からの欠点の指摘にムッとしては意地を張っていた自分が情けないです。

他人の意見に流されることと
他人の意見に耳を傾けることは違う ということも違いがわかりませんでした。

なぜか心の中でいつも
【自分は正しい】と思っていて
指摘や批判を受けるとひどく傷つき落ち込んでいました。
自分自身の存在までをも否定された気になり
時には相手を恨みました。

意見の異なるということが、私の中では
【対立】だったのです。

なので、価値観や意見の異なる人とは関わりが持てませんでした。

でも、闘う必要もないし、攻撃すること
攻撃される必要もないんですよね。

【頑固】な人は、自分に自信のない人なのかな・・・って
最近は思ってしまいます。

あ、馬鹿にしてるわけではありません。
私がそうだっただけです。


いつも読んでくださって、ありがとうございますありがとう

クローバーみなさまにたくさんの幸運がおとずれること祈っておりますクローバー



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