うつ病になる前に
私は会社で起こったことや
日々の出来事を友人などに語っていた。

感じていることを語っていたのですが
それが不満や愚痴であることには
まったく気づかなかったのです。

心のことに本気で意識が向いたのは
今から10年くらい前。

それまでは、目に見えない世界に
興味があったけれど
何かが見えるわけではないし
特別な能力があるわけでもなく
漠然とそんな世界もあるのかな・・・くらいでした。

ただ、自分が他の人と視点が違うことや
考え方が違うことは何となく感じていたので
それに対する【なぜ?】という疑問はありました。

そして、心のことを追求していくうちに
育ってきた環境が大きく心に影響を与え、
当たり前だと思っていた
<考え方>
<感情の表現>
<物事を見る視点>
<人との接し方> がパターン化していて
このパターンが自分を苦しめていたことにやっと気づきました。

私を助けてくださった専門家の方は
「思考パターンを変えなさい」
「出来事に反応して、感情にとらわれないように」
「執着をすてなさい、こだわりすぎないように」
「悲劇のヒロインを演じても解決しません」 と 
繰り返しアドバイスをしてくださったのに
その意味がまったく理解できませんでした。

いわゆる【頭ではわかっているけど、腑に落ちない】状態でした。
理屈としてはわかるのです。でも自分がそうであることには気づかなかった、
いや拒否をしていたのかもしれません。

うつ病になったことで
嫌でも思考パターンを変えざるを得なくなり
やっとアドバイスの意味も理解できました。

理解できなかったパターンのひとつに
【悲劇のヒロイン】があります。

●自分の惨めさを訴えることで憎しみを表現していたこと。
●自分の不幸は、周りの人のせいだと責めていたこと。

私には悲劇のヒロインを演じている気がまったくないので
何を言われているのか、わかりませんでした。

学校や会社で
「私はひどい目にあった。傷つけられた」 と起こった出来事を話しているのですが
その辛さが伝わりません。
それどころか友人は
『そんなことないよ。みんなそう言うよ』
『私も同じこと言われたよ~。傷つけるためじゃないよ』 と いうのですが納得いかずに
「私の時はもっときつく言われた。私だけに言った」と 訴えていました。

やがて、傷ついたことを受け止めてくれないことに更に落ち込み傷つくという
ループにはまっていました。

積もりに積もった心の【膿み】を吐き出せない辛さから
<私はこんなに辛い目に遭ったの、かわいそうでしょ?だから優しくして>
<私はこんなに頑張ってきたの。だから褒めてね>
<私、こんなに惨めなの。だから大切にして> という想いが悲劇のヒロインの裏に
隠されていたのでした。

こんなことを繰り返していては、関わる人が重く感じるだけなので
次第にみな離れていきました。
気づいたときは、【私の方がもっと不幸よ!】
不幸自慢する人ばかりになっていました。

類は友を呼ぶ。
引き寄せの法則ですね。

それなのに、私は
<明るく元気な人>や<笑顔の素敵な人>と友だちになりたかったのです。
どう考えても無理ですよね。

今は、誰かに楽しませてもらうのではなく
自分が誰かを楽しませたい、ハッピーにしたいと思いますsei

いつも読んでくださり、ありがとうございますハートくま・左

幸せ*クローバーみなさまにたくさんの幸せがおとずれること祈っております*クローバー幸せ




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