私は、馬鹿がつくくらい【真面目】に生きてきました。
いや、正確には【真面目】に生きることを強いられてきたって感じです。

【真面目】に生きることは
人として大切だし、重要です。

でも【真面目】なだけでは、幸せになれないことを知りました。

私の真面目という概念は
<どんなに疲れていても、やるべきことは必ず終わらせる>
<体調が悪くても休んではいけない>
<他人よりたくさん働かなければならない>
<人に迷惑をかけてはいけない>
<どんな嫌な人とでもみんなと仲良くする> などの思い込みでした。

どんなに苦しくても辛くても
『真面目でなければならない』
『不真面目ではバチがあたる』 
と信じていたので
気の休まる時がありませんでした。
体調が悪いなんて休む理由にはなりませんでした。

母は、体調が悪くてもお店の仕事を終えてから
洗濯、掃除などを一切手抜きせずにこなしていました。

体調が悪いと暴力を振るわれるので
いつもその恐怖に怯えながらも
「家事を休んで、早く寝ればいいのに・・・」
「今日ぐらい掃除しなくても死なないじゃん」と子供心に思っていました。

潔癖症というか、強迫観念が強いというか
完璧にやらないと気がすまない人でした。
そして母は口癖のように
『私がやらないと誰もやらないでしょ!』
『ったく、誰もやりゃしない!!』 といつも怒鳴りながらやっていたのですが
誰かに頼むということもしませんでした。

自分の思い通りに仕上がらないと、気がすまなかったからです。
一体、どうすりゃいいの?って姉と嘆いていました。
姉は早々家を出て行きましたけど。

“完璧!” を強制されていたので
どんなことがあっても
家中の掃除機をかけて、玄関を掃き、トイレの掃除
風呂の掃除、窓ガラス拭き、廊下の雑巾がけなどを
終わらせないとゲンコツが飛んできました。

今日はやりたくないなと思うほど疲れていて
『明日でいい?』 などと言おうものなら
「怠けるんじゃない!さっさとやりなさい!!」とまくし立てられました。

とどめは
【人様が遊んでるときに働かないとお金なんて稼げないのよ!!】
【人の何倍も働かなきゃ、いい暮らしなんてできないのよ!!】 です。

もちろん、理にかなっていると思います。
努力もなしにお金を稼げるのは、ある意味幸運すぎると思います。

でも、
疲れているのに休めない・・・
友だちと一緒に遊びたい・・・
こんなに働かされても好きなものは買ってもらえない・・・ という不満が募っていました。

そしてこの不満、自由を奪われた恨み、辛み。
サラリーマンの家庭のように、休日に外出できない寂しさ、切なさ、苦痛。
家族で旅行に出かけた記憶など、ほとんどないんです。

これらが積もりに積もっていました。
真面目に生きているのに、報われない・・・そんな想いができあがったのは
きっと家庭環境が影響していると思います。

そして、社会にでて【真面目】に生きても、ぶつかる壁。

【真面目】なら私を信じてもらえるし、誰にも裏切られないとも思ってました。
ところが、世の中はそうではありませんでした。

私の【真面目】という概念が、偏っていること。
そして、いろいろな人と関わっていかないと
生きていけない世界があることを
知ったのです。

残念ながら心が綺麗な人ばかりではありません。
【真面目】な人を騙す人がいます。
人を裏切る人もいます。

ある意味、私にとって社会は衝撃的でした。
心が汚れている人が多すぎたからです。

“大人になることは、心が汚れていくこと” だと私は思っています。

これは批判ではなくて、そうしないと生きていけないという意味も含んでいます。

心が汚れ過ぎてしまった人や、自分を傷つけたり、
蔑む人とは、距離をおかなければなりません。

<みんなと仲良くする>ことが真面目に生きることにつながっていたので
誰かと距離を置いて付き合うことは、できませんでした。

でも、自分のために生きていいと知り
上手な距離感でお付き合いをしていくことを学びました。

【真面目】に縛られて、自分の感情も意見も抑え込む癖がついて
苦しかったのです。

真面目もほどほどにしないと、心が壊れてしまうんですね。

人間は完璧じゃないから人間なんですから女の子

-----------------------------------------------------

いつも読んでくださり、ありがとうございますhappy*

にじ~みなさまにたくさんの幸運が訪れることを祈っておりますにじ~




ペタしてね



ブログランキング・にほんブログ村へ 


ブログランキング・にほんブログ村へ