今から10年くらい前に私は2人の子供を連れて離婚した。

離婚の原因は、元夫との価値観の違い・・・といえばきれいだけど

そんな美しいものではない。

私は両親の経営する飲食店を手伝いながら

2人の子供の世話、炊事、洗濯、掃除すべてをおこなった。

元夫は帰宅すると(会社員なので夜6時過ぎには帰宅する)
、お酒を飲んで畳の上でゴロゴロして居眠りを始める。

私はディナータイムのラッシュに備えて、子供たちを元夫に預けて

お店に行くが、子守をしてくれるはずもなく

子供たちの泣き声が聞こえてくる。


息子をおんぶして、娘はお店の外で遊ばせながらの仕事。

21時、お店を閉めて遅い夕食。

元夫は、畳の上で爆睡。


子供が夜泣きをすると

「うるせえな、眠れねえだろ!あっち行けよ!」と部屋から追い出され

私はまともに眠ることもできずに朝を迎える。

朝ごはんの支度が遅いと文句を言う元夫。

「朝ごはん用意できてねえってどういうことだよ!
俺は何のために結婚したんだ?あぁ?」

夫を送り出し、子供たちを保育園に送り

洗濯、掃除をして、ランチラッシュになだれこむ。


はっきり言って休める時間なんてなかった。

夜、眠ることもできないし、子供が熱を出せば保育園から

「お迎えにきてください」とすぐに連絡がくる。

会社勤めではないので、私は休めない。

子供を寝かしつけたら、お店に行かなければならない。

こんな嵐のような毎日を送り、次第に自分の中に疑問が沸き起こった。

「私は何のために結婚したの?」


肺がんの告知を受けていた母が5年間の闘病生活を終え

虹の橋を渡ったときに、私は段々と離婚を考えるようになった。

「この人と別れたほうが私は幸せなのかもしれない」


子供達から父親を奪う苦しみを胸に抱え

くる日もくる日も悩んだ。

私の一存でこの子達から父親を奪っていいのか・・・。


決定打は、父親らしいことを元夫がしなかったこと。

子供が泣き叫べば

『うるせえんだよ!!あっちに行けよ!!』 と子供たちに物を投げつける。

本などが身体に当たり

「痛いよー」と泣いている子供たちの姿が今でも目に浮かび
胸が締め付けられます。

私がこの人を選んだがために、子供たちを不幸してしている・・・という苦悩もあった。

それに自分の子供たちに、こんなひどいことができるなんて、
人間じゃないと思った。
段々と元夫を軽蔑するようになっていった。

「お母さん、抱っこ~」と子供がせがむのを見て

『甘えてんじゃねえよ、くそガキっ!!馬鹿じゃねえの?』と 罵る。

もう、修復の道は見えなくなっていた。


私の中では、長い期間考えての結果だったけれど

元夫には青天の霹靂だったので、

『離婚は絶対にしない』 と言われた。


家庭裁判所に離婚調停を申し込み

争いました。

夫に不貞行為などがあるわけではなかったのでこじれました。

とても長い時間はかかりましたが、なんとか離婚成立。

莫大なエネルギーを使い果たしました。


子供が生まれてみないとその人の本性はわからない。

私の人を見る目が未熟だったせいですが

苦労しました。


今だからわかるのは、元夫は継母に育てられていて

十分な愛情を受けられなかったんです。

2歳くらいまでは、おじさんの家に預けられていて

両親から必要な愛情を受け取れなかった。

母親、父親の愛情に飢えていたのかもしれません。


私がACだったので、共依存関係だったようにも思います。

生まれ育った環境は、人生に大きな影響を与えますね。

ここではあえて、ひどい言動を掲載しましたが

これが全てはありません。

元夫に対しても恨み、辛みはありません。

苦しいことがあって、今があるんだな~と思い起こしてみました。

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いつも読んでいただきまして、ありがとうございますありがとう

羽根パープル上反レインボーみなさまにたくさんの幸運がおとずれること祈っております羽根パープル上反レインボー



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