皆様、こんばんは。
毎日20時45分にブログアップの
HAPPY親子塾の浅賀です。
家事の手伝い、すなわち「はたらく」
ことのしつけは親の大切な役割といっ
てよい大切なことです。
ところが、最近家の手伝い、家庭での
自分の役割分担がない子どもが多いと
言われています。
理由は、子どもが忙しいから家の手伝
いなどしなくていい、ときっぱりいう
お母さんも出現しているくらいです。
手伝いするなら、勉強しなさいとか
塾で遅いのだから、手伝いはしなくて
いいとも。
あなたは、この実態をどう思いますか
?
その反動が、お父さんにきたり、一番
下の子にきたりしているという話も
きます。
豊かな生活のもと、社会や家庭・住居
・生活様式等が変化し、経済的に豊か
になるにつれ、家事が機械化・簡略化
されて子どもの仕事はだんだん家庭内
から消えてしまいました。人々の価値観
も変化し、大人がやってしまった方が早
い、なまじお手伝いなどするより勉強し
なさい、という考え方が多くなる一方、
お母さんの「子どもには十分勉強時間を
与えています」という自己満足が、知らず
しらずのうちに子どもを仕事をする能力
のない、わがままなエゴイストに育てる
結果になっていたのです。
掃除をしないで、友だちと話している。
注意をうければ、「何でぼくたちが掃
除しなければならないんですか?」
と屁理屈をいうそうです。
ホウキのはき方もしらず、雑巾の拭き
方も知りません。
学校で使うようなホウキを使ったこと
がないのです。
雑巾がけもしたことがないのです。
時代が変わったからですませることな
のでしょか。
雑巾もきちんと絞れない子も多いので
す。
今の子どもたちは、できないのではな
く、知らないのです。
教えられていないのです。
挙げ句の果てには、業者がそうじする
ようにすればいいのにね、となる。
自分たちの使っている場所を心を込め
て掃除する、磨くということは必要ない
ことなのでしょうか。
さらに、親自身も同じ感覚でものをいう
ところに深刻さがあると思っています。
家に仕事が、役割分担がなければ作れ
ばいいのです。
私は、何もなかったら、「家族全員の
履き物完璧に揃えろ」といってきました。
そのことで、どんな変化が家族に起こ
るのか私には想像ができます。
目の前の大変さにばかり親は目を向け
た子育てではいけません。
そのことが、大人社会でも通用するの
かを基準に判断する必要があるのでは
ないでしょうか?
学校では一人一役以上の役割を責任を
もって果たすことが求められるのです。
そのことで、仲間に迷惑がかかるようで
あったり、力関係で「お前やれよ」のやり
とり等がいじめに発展するのです。
簡単なことでも最後まで諦めず、投げ
ずにやりきることを学ぶことも社会に
出て、仕事をしていく上でも要求される
ことですよね。
子どもだからいいとか、その時になれ
ばやるさと考えるのは、少々甘いこと
です。
できない子は、その場になってもできま
せん。
もっというなら、子どものときにでき
ない子は、大人になったらもっとやり
ません。
いいわけ、逃げることを学習している
からです。
学校現場では、成績のよい子であって
も、いやそんな子ほどその傾向が強い
のです。
その背景を考えてみれば、わかります
よね。
家族のために、役割を分担して学ぶこ
とは余計なことであり、あなたは勉強し
なさい、となるのです。
責任・役割・連帯感・家族のため・
自分の身の回りをきれいにすること
子どもを褒めるチャンスを削ること
人のために働くこと等々、
このことの意味は?
最後まで、お読みいただき、
ありがとうございました。