『天使にラブソングを』を

また観たくなって観ていたら


大好きなシーンがなぜ好きなのか
改めて気づきがありました。


私の大好きなシーンは

聖歌隊が人前で

初めてうまく歌えるシーン。


「私にもなにかできる気がするの」
と迷っていた、小さい声のマリアが
めちゃんこ声を出せるようになって


そのあとに
『おお、神よ』
と感謝を捧げるシーン。



できなかったものができた喜び』に
シンクロしたのかと思っていたし


みんなでうまくいった喜び』に
シンクロしていたのかと思ってた。


それももちろんあるのだけど

更に深いところでは


神と繋がった喜び』や
魂のままに表現できる喜び
にシンクロしていたのだ


とさっき、気づいたのですえーん


私はキリスト教ではないので

神ということばのなかに

『愛でしかない、素晴らしい創造主』
という意味をみています。


それは


生まれる前からずっと
私のそばにいてくれた存在であり


その存在はいつも変わらず
私を愛し続けてくれているのです。


※私も、あなたも。


誰にでもいる、この存在と繋がることが
『チャネリング』であり


私にとっては
歌、オラクルカード、ヒーリングを
している時間が


その存在と繋がれる、
至福でたまらない時間なのです。


どんなに苦しくても
そのときはフラットになるの。


感情の渦に巻き込まれず
少し離れたところで見ている自分に
なれるのです。


『スピリチュアルだけでは
 現実的に生きていけない』


と思ったとき、私は
信仰することをやめようとしました。


そこそこ歌えても
オラクルカードが引けても
チャネリングができても


どこか、自信がない私がいて


一旦、それらのすべてをなげうつのに
なぜか、いつも引き戻されました。


きっとそれは

これらを信じるのをやめること

=自分を信じられなくなること


だったからなのかもしれません。


自分を信じられなくて
ずっと、もがいてきたんだけど


一番信じたいものを
手放してしまった自分なんて
信じられなくなって、当然だね。



私にとって
『神を信じる』ことは

『絶対的な安心感につながる』こと。


不安でたまらなかったのは


一番繋がりたいものと
繋がれてなかったからでした。


絶対的な安心感の中に

いたい。


私が感じたいのも

渡したいのも


その一言につきます。


絶対的な安心感の中で

チャージされた先に

すべてがクリエイトされていく、

と思っているし


そんな愛の創造をしてみたい、

と思っているから


この映画をこのタイミングで観たのかな?


何気ない日常を、

ハッピーに。


そんなことを

これからも伝えていきますねラブラブ