内観するのが苦手な私は
歌で自分の気持ちに潜るようにしています。

なぜ、この感情を手放せないのか?

それは
『握っていたいから』です。

忘れたくない人がいる。

その人のいのちを
まだ、悼みたい自分がいました。



大好きだった。

だから、忘れたくない。

だから、死にたかった。

あの人のいる世界にいけるから。

あの人に会えるから。

会いたい。
大好き。
忘れたくない。

この、強烈な思いは

『死んだほうが、もう苦しまなくて済むよ』
という、甘い囁きと混ざって

私の中に深く癒着していました。

たくさん傷ついてきて
もう傷つきたくない。

そんな私を守るために
死を提案する存在がいた。

ただ、それだけのことだったのです。

負荷がかからない選択がそれだから
そっちに流されそうになる。

だけどね

今日、どうしても歌いたかった歌を
歌ってみて、気づいたの。

私が手に負えないと感じていた
宝石ブルー負けず嫌い
宝石ブルー完璧主義
宝石ブルー役に立ちたい気持ち
のおかげで、私はまだ生きているのだと。

これがなかったら多分

小学5年のときに終わってたし
社会人で大失恋したときに終わってたし

何度も、終わる可能性があった。

だけど、私は踏みとどまった。

踏みとどまったおかげで、
たくさんの再会を果たせた。

魂が再会したい人と
少しずつ、再会できたお願い

楽しいことも増えてきた。

できることも増えてきた。

そうやって生きることにしがみついたのは
『握っていたい』
という思いが強いからでした。


個性は、薬にも、毒にもなる。

多すぎても
少なすぎても
ちょうどよくは、ない。

私はこうやって

ちょうどよい塩梅を
模索しているのかもしれないなぁ。