最近の私は
疑うということを覚えた。

私にとって疑うとは

盲信しないこと、
常に、確かめていくこと。

その人にとっての正解が
私にとって正解かどうか
きちんと精査するようになったし

前の自分が選んだものを
惰性で選び続けなくなった。

前好きだったものが
今も好きとは限らない。

前嫌いだったものが
今も嫌いとは限らない。

苦手でやりたくないものは
やってみたら楽しいかもしれない。

苦手でやりたくないものは
やりたくない理由が他にあるから
やらないのかもしれない。

自分らしい、も

これが自分だと思っているものは
もしかしたら
一部に過ぎないのかもしれない。

優しい人が
怒らないわけではないし

いつも怒っている人が
優しくないわけでもない。

疑うとは
『それって、本当に?』
と問いかけること。

信じていない、というよりは
自分の大きさを信じているということ。

自分の知らない自分がいることを
信じているということで

自分の知らない世界があることを
信じているということ。

把握できる安心感もあるけれど

すべてが変わっていくことを
理解しておいたほうが楽しい。

昨日の自分は
昨日の自分でしかない。

家族といるときの自分は
家族との共同創造で生まれる自分だ。

家族といないときの自分は
その延長に置かなくてもいいし

明日の自分は
今からクリエイトしてもいいんだよ。