最近、絶望沼に落ちております。

まだまだ
知らないこともできないことも
たくさんあって

そんな自分が嫌いだったことに気づいて

自分のことが嫌い、と思ってる自分と
話をする段階に入りました。

実はまだ悲しかった私とか
実はまだ悔しかった私が
見つかってきて

無力感とか無価値感とか
重たい感情が溢れてくるのを
一つ一つ味わっている。

やっと、ここまで来たんだなぁ…。

最近、気づいてばかりいる。
私は私に優しくない(笑)


例えて言うならば
『女子ってこれが好きだったよな』
でまとめて見てくる男子みたいな。


これ、やりたくなかったし
やってほしくなかったのに
自分がまんまとやっていた、


というオチ。


だからあのとき、
私は怒ってたのだなぁ(遠い目)


前に好きだったものが
今も好きなわけじゃない。


コロコロ変わっていくし
どっちが好きか、なんていつも違う。


そんな自分に声をかけることもせず
前の自分のデータのまま
行動していた自分に、ガーン😂


だめやん、これ。
だめやーん。 



だめな自分に
絶望できるようになったのは


絶望して泣いてても

側にいて嫌いにならないでいてくれる人が
いるから。


本当はお母さんにやりたかったけど

できなくて


大人になってからやろうとしたけど

お母さんにはできなくて


ずっと、それができる人を探していた。


もちろん、仮初の癒やしでしかない。


自分のことは自分でしか
満たせないんだけど


自分で自分を満たすのが難しいときは
誰かの手を借りるって大事なんだなぁ。


その人がいるから
安心して絶望できるし


その先で
『これならできるかも』
って行動していけるのだと思うのです。


そして、

絶望の先に希望を握ること。


これを手放したら

絶望沼に落ちていきます。


私が私を嫌いなのは


してほしいことがあるからで

してほしくないことがあるから。


私が嫌いだからどっか行って、

ではない。


メンドクサイ女心よ。


そんな自分も真っ直ぐに見つめてあげよう

と思うのでした。