誰かを喜ばせること。
誰かの役に立つこと。
自分だけが得をするのではなく
相手の得も考えること。
そんなこと、
私にとっては当たり前なのだよ。
当たり前過ぎて
それができないって意味がわからないし
それを知らないって意味がわからなかった。
根っから、染み付いている概念。
一年くらい前
本を読むのが苦手な友達に
ある本を貸した。
なんとなく、ピンときて
『彼女に合いそうだわ』
と感じたからそうしたのだけど
彼女は
その本を読むたびに
覚醒していった。
で、
そんな報告を聞いてたら
「じゃあ、そのまま、あげるよ」
って口をついて出たのだ。
私には
そんなに必要だと思わなかった本。
彼女にとっては
明らかに、必要な本。
彼女が
「中古よりも新品がいい」
ってならなければ
彼女が持っている方が
その本も喜ぶに決まってる。
私の思考は至ってシンプル(笑)
そのエピソードを思い出したのは
ある人の公式ラインで
『本をもらった側のエピソード』を
聞いたからだった。
『そんなことが
こんなにも喜ばれるんだなぁ』
私はやっと
『簡単に、人を喜ばせられる能力』を
自覚した。
え、だってさ
それが当たり前だからね。
無理して絞り出すことはしないけど
溢れてきたら
プレゼントするのは当たり前なのだ。
溢れてこなかったら、しない。
ずっと、そうやって生きてきて
私は
受け取りたいフェーズに来ている。
愛されたい。
応援されたい。
与えてほしい。
受け取れる自分でいたい。
与えるのが当たり前すぎるからこその
転換。
もちろん
自分が自分に与える、
も入っている。
何をすれば、幸せなのか。
何をすれば、とっても幸せなのか。
新しい行動をするほどのエネルギーは
まだわいてこないのだけど
しばらく
体の疲れに寄り添うように休み続けて
もう少しで
見つかりそうな気がしている。
焦らない、焦らない。
私の中から
欲求が出てくるまで
焦らない。
今まで待てなかったから
やっと、待てるタイミングが来てる。
待ってみよう。
世界が変わるまで。
きっと
そのときがきたらわかるはずだから。