美空です。

美しい空と書いて
『みそら』と読みます。

親しい方は
『みそらん』と呼んでくれてます。

最近、私のことを知ってくれた方も
多くなってきたので、

自己紹介ブログを
アップすることにしました。



筑波大学での英米文学専攻は
はっきり言って大変でしたガーン

毎週の英語の授業の予習に追われ
教職をとるために必要な授業中に
英語の予習をする日々。

同じ専攻であっても
同じ授業をとらなくてよいので、
仲間との繋がりも少ない。

楽しかったけれど
なんだか寂しい。

そんな私にとって

合唱団に所属できたことが
本当に幸せでした。

筑波大学で
一番大きな合唱団。

入学式、卒業式で
オーケストラと一緒に歌ったり

毎月
ボイストレーニングを受けたりしました。

毎週木曜日は
東京から指揮者の先生が来てくださり
ピアニストの先生の伴奏で歌う。

泊まりの合宿もあったし

合唱団内でアンサンブルチームを作って
各自の歌いたい曲を発表する、
という体験もできました。

仲間もできたし
慕ってくれる後輩もできたし

発声から習えたし
ドイツ語で歌ったりもしたし
表現することも学べた。

そしてもうひとつ、

私が今やっていることに
繋がる経験があります。

クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー

合唱団では
二年生から役職につきます。

パートリーダーとか
演奏会実行委員とか。

私がついたのは
『技術委員会補佐』という役職でした。

技術委員会補佐(通称、技補佐)の仕事は

ピンク音符練習場所の予約(大学施設、公民館)
ピンク音符公民館練習のときの配車 
     (車を持っている団員にお願いする)
ピンク音符先生がこられるときの配車
     (駅までの送迎を団員にお願いする)
ピンク音符楽譜の販売

だったかな?

誰と誰が仲良しで
誰と誰を一緒にしたらまずいか

団員同士の関係をよく見てたり

先生を送迎するお願いが
同じ人に集中しないように

順番とか頻度を
考えていた記憶があります。

二年の後半くらいのころ
三年の先輩が練習に来られなくなって

引き継ぎもままならないまま
一人でやらなくちゃいけなくなりました。

仕事を一人で始めた頃は
本当に大変でミスばかりガーン

技術委員長の先輩から
怒られてばかりでした。

だけど

三年を終える頃には
スムーズにやれるようになって

四年前に作られた技補佐マニュアルを
更新できるくらいになりました。

これ、
楽しかったなぁぁ。

そしてもうひとつ。

一年に一度開催されるコンサートの
アルトの立ち位置も
考えるようになりました。

通常は
各パートのリーダーが
決めていたはずなのですが

なぜか
私のいるアルトは私が担当で

三年生はできるだけ前列にしたり
後ろの列がよさそうな一年生の隣に
めっちゃ歌える二年生を配置したり

バランスを見て
いろいろ考えていたのを思い出しました。

みんなが楽しく歌えること。

みんなが練習の成果を出せるように
リラックスできる場を作ること。

これが私の喜びでした。

クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー

翻訳家になる夢は
なんとなく諦め始めました。

自分の英語力のなさと
翻訳家になるための狭き門が
私のモチベーションを下げていました。

英語が好きだったわけじゃない、
というのもあったのかもしれません。

毎週、英語の予習に
追われたせいだったかもしれません。

卒業に必要な科目を
ひたすら選択し

卒業に必要な単位数を
軽く越えてしまった私は

またここでも
負けず嫌いを発動し(笑)

いい成績がとりやすいレポートの授業を
選択したり

面白そうな言語学や哲学の授業を
選択したりして

一年生のときに選択して
成績がよくなかった科目を自由科目にし
(自由科目はすべてが成績表にのらない)

卒業に必要な単位を
ほとんどAにしてから卒業するのでした音譜
(今考えると、すごいな、私)

クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー

大学を卒業するとき

『せめて英米文学を扱う出版社に勤めたい』
と募集を探したのですが
ピンとくる出版社がなく

『やばい、このままだと就職できない』
と焦った私は

人が好きなのをいかし
小売業に就くことにしました。