映画を観ている時、
「あー、いま不安感を刺激されてるな」とか
「いまドキドキとか興奮するよに仕向けられてるな」と思うことがあります。




物語に没頭してる自分と冷静な自分がいる。
ドキドキしながら「私はこの音に【ドキドキ】するんだな。【ドキドキ】はこういう音でもつくれるんだな。」とか思っている。
別々ではなく同時に感じている。




その感覚になった時、
「今こう感じて欲しいのかもな」という意図とその先にある気持ちに自然と興味が向きます。
監督を始めとしたたくさんの人の働きと気持ちが、一瞬一瞬の場面にぎゅぎゅっと凝縮されてる気がして心がふるえる。
ものづくりって凄いな、、面白いな、、と思って目が釘づけになります。








ふと目が釘づけになった花。桜に気を取られて上ばかり見てたのでスルーでした。こんな可愛いコがそばに咲いてたとは♡









映画のエンドロールでは全員の名前を読むことは難しくて。どんな仕事があって、どの仕事がどう繋がっていって…というところは制作の素人である自分にはよくわからないのだけど、この中の誰が欠けてもこの作品は出来上がらなかったってことはわかる。





もれなく全員が必要で、

全員の働きと繋がりがあって、

全員の経験と生活があって、

偶然のような必然がたくさん繋がってこの「ひとつ」の作品がうまれた。





見えない繋がりにまで思いを馳せていると胸が押しつぶされそうな気持ちになる。一人一人の人生の重なりが途方もないものに思えて苦しくなる。

受けとめきれない、それでもぜんぶ感じたいという気持ちが、苦しさとか好奇心とかになって自分の中から次々と溢れ出してくる。





そんなふうになってしまうことも、そうさせてしまえることも凄いなと思った。





これまであまり映像をつくることとか演出とかに興味をもったことはなかったんだけど、面白いし奥が深いし、興味関心とか伝える努力とかに愛を感じてハマってしまいました。笑









キミたちにもハマって、たくさん写真撮らせてもらいました笑


















「いづみ」という人生の監督とか登場人物を映画のエンドロールみたいにしてつくったらどうなるんだろうなとふと思いました。





私はあまり優秀な監督ではなく、😅

プロデューサーとしてもクリエイターとしてもぜんぜん未熟で、😥

演者としてもあまり好きなキャラ設定ではないのだけど、😱(改めて書いて見ると悲惨…)





この自分のままで私を含めたすべての存在が必要で、すべてあって「いづみ」生で、それはまちがいなく豊かで幸せで、鑑賞している私は大喜びなんだろうなと思う。





これからもたくさんの存在に感謝して、豊かに楽しく「いづみ」生をつくり満喫することに精を出そう。💪✨やるしかないもんな。笑





映画を通して「監督目線を学びなさい」「諸々スキルアップしなさい」と言われた気分でした。物語とは違うところで何かと胸に刺さりまくった。😅

やるしかないのでがんばります。笑