くいしばりをやめてみて、
本来なら体の別の部分が担うことを顎や顎周りの筋肉を使ってしていることに最初に気がつきました。









正解にはしている「つもり」になっているだけでできてはいなかった。なぜなら顎ですることではなかったから。




例えば「踏ん張る」は足を使ってすることですが、これを顎の動きでしている気になっていた。
(意識というか、感覚のはなしです。)




これは日中の顎周りの動きを観察していて気がつきました。妙に口もとに力を入れたり、顎を引く動きをしてることが多々あった。




踏ん張るのは脚とか足裏なんじゃないの?と疑問を持って眺めていたら、そこに繋がる思考を見つけました。




「見落としてはいけない」「間違ってはいけない」「姿勢を保たなくてはいけない」などいくつかあり、体はというととても緊張していました。視界はチラつき周りの音は小さく聞こえていた。
あまり「いい感じ」には思えなかったけど、見落としや間違いを防ぎたい思いが「踏ん張る」という行為になっていたのだと知りました。




「踏ん張りたい」を足ではなく顎に意識を向けてやっていたことに驚きました。こんなにも全力全身で顎に負荷をかけているのかとビックリした。




メリットはありました。
私の場合、くいしばっていると少し呼吸がラクになっていました。緊張で呼吸が浅くなるなか、なんとか体に酸素を取り込んでいる感じがあった。
少しでも肺に酸素を入れよう、体に酸素を巡らせよう、という体の働き(苦肉の策?)のように見えました。




こうしてみると「なんか違わない?その使い方おかしくない?」と思う感じ満載だけど、😅
叶えたかった思いとか気持ちを見ていたら「やめたくない(治したくない)」わけだなと妙に納得でした。やっぱり、自分で願って自分で叶えていたんだな。。








観察は今も継続中で毎日いろんなことを感じたり考えたりしながら過ごしていますが、日に日に細かい部分にまで目が届くようになっています。
(感謝ワークの習慣がかなり活きてると感じる)




「ここ見なさい」「次はここ」と痛みや違和感を使って体に誘導されてる気分です。
(おかげで痛みがあっても気持ちはずっとラクなままで続けられています)




緊張や痛みが体への注目を促し、その部分を感じていると思考に気づき、思考の働きを観察してるとその手前に何かしらの気持ちがあることがわかる。




私の場合、思考の多くは「こうすべき」と思っているものでその手前には「正しさ」があるようです。




それらは煽ったり急かす言葉になって出てきがちで、もうそうなって出てくるクセがついてるみたい。




プロセス全体の認識の修正(設定変更)は最初にしたので、今は細かい部分の調整とそれにともなう体の使い方の練習を続けています。
(修正には言葉(ノート)が大活躍しています。どんな言葉を使っているのか確認するって本当に大事!)




私は意識も力もうまく流れない体ができてしまっていて(つくったのはもちろん私自身で)、
それでも何とか体を動かそう、使おう、としてきたツケをあちこちにためているみたい。その1つが顎で「くいしばり」になっているらしい。




意識の流れは本当にビックリするくらい逆方向で気づくたび戸惑います。笑 こいつ(私ですが笑)頭おかしすぎるだろとあきれる。😂




しかしやはり体がすごくて。✨👏✨
決めたらちゃんと導いてくれる。こんな状態でもちゃんと必要な情報をとりにいってくれます。
(そういう意味ではやはり今のままでもいいし願いも叶うんだよなと思う)




逆方向に使うことを決めたきっかけになった気持ちはなんだろう?と気になっていますが、ひとまず置いてます。




ただなんとなくそっちを「いいな」と思ったタイミングが子どもの頃にあったことは思い出しました。今なら思わないけど、子どもの自分はそれに憧れちゃったみたいです。笑
しょーがない。笑
憧れちゃったならしょーがない。🤣




もう充分満喫したのでそっちはやめて、今憧れているものに真っ直ぐ繋げることを頑張ります。💪✨
体もどうなっていくのか楽しみです♡







文字いっぱいだったので最後に花で緩めてみる笑












あちこちでたくさん花が咲いているのがなんだか嬉しい♡