”私を見て“
私達はみんな、私を見て、と、オーラに看板が貼ってある、そうだ。
それは、人それぞれに、注目されるためのオリジナルなエネルギーで、私達のニーズを満たすための発信源となる。
日本人に多いのが、
「可哀想な私」
でも、これだと、心配されたり、可哀想と思ってもらえて、気はひけるけど、本当に欲しい、”愛“、は手に入れられないことのほうが多い。
だから、一瞬、注目されて、関わりを持つことができて、優しくされてはみたものの…。
満たされないことがほとんどなので、あとで、悲しくなったり、自分を嫌いになったり、やけ食いしたり、する。
相手に依存されることも多く、いつも可哀想な私を演じていなければならず、そんな時、私達の創造性は、なんだか、本当の私はどれなのか分からなくなって、怒ったり、泣いたり、いわゆる、自分に気づいてほしくて主張する。
本当に見てほしいのは、可哀想な私
愛されるための条件、から、自由なりませんか