週末は久しぶりに学祭に行ってきました。

若者のパワーはいいね~~

すっごく楽しそう

自分も若い時はあんなだったのかなぁ

と遠い目遠い目

そこでこれは画期的!と思ったのがこちら

全店で使用されている発泡スチロールの器。

薄いビニールが貼ってあって

捨てる時には上のビニールのシールをはがして

シールは燃えるゴミ、器はリサイクルの箱の中に

入れます。この器だと綺麗なままリサイクル

に回せるのですごくいいなぁと思いました。

お店によって使用する器は違うのですが、

すべての器、お皿がこのタイプになっている

のでとても素敵なエコ活動だと思いました。


息子も一緒に行ったのですが、校舎が古く

とても趣があるのと、お祭りの賑やかさも相まって

息子は

『大学はここに決めた!!


と言ってました~きゃぁ~


アドラー心理学ELM勇気づけトレーナー

人おこし・組織おこしリーダー

本橋えつこです。

嫌な気分から抜け出すには

くだらないと思えたり

えーほんとに?

と思うことでもとりあえずやってみる



今日は

『障がいについて考える』

という会に参加してきました。

区議会議員の方が主催した会で、

ご自身も区議会の中で教育について

の部会に参加している方でした。


日本ではインクルーシブ教育が行われていますが

それはまだまだ紙面上でのこと。

実態は効率などを優先して、障がいのある子と

そうではない子は分けられた教育現場です。


障がいがある児童が普通級にいることで起こる

デメリットを考えると健常者と障がい者を

区別することがベターであるという国の考え方

があるようです。


障がいがあるからという理由で区別される

と小さい時から健常者と障がい者は一緒

の環境にいないので、意識することなく

健常者はちょっと自分とは違う障がい者を

自ずと区別することになり、それが差別へと

つながっていくと思います。


小学校でも中学校でも固定の支援級、通級の

支援級を作るのであれば、その費用を通常級

で支援できる体制を作っていけばいいのに…

と思いました。


でもそれをしないのは日本の効率主義的な

ところもあるのかも。

同じような障がいがある子は同じ環境で

学んだ方がより専門的なケアを受けられる

からいいのでは…という現場を知らない上の

考え方なのかな。


でも、元支援学校の先生だった方の話を

伺うと専門的な教育が必ずしも受けられるわけ

ではないと仰っていました。


また、障害者が普通級にいると

同じクラスの保護者から


『あの子がいるからうちのクラスは

勉強の進度が遅れている』


などというクレームが出ることも多いとか。


支援学校や支援学級にいる生徒は

学校生活を送る中で

コミュニケーションスキルとか

ソーシャルスキルとか

を学んでいきます。

高等部になると職能とかを

毎日勉強して、少しでも社会の中で

自立して過ごしていけるように訓練を

していきます。

これは、もちろんとても大事なことで

これらを身につけることは障がいを

持っている人たちが生きやすくなると

思います。


障がい者は社会に適合しようと

いろいろなことを学び訓練して、

社会に寄り添えるように変わろうと

していますが、

社会はどうなんだろうか。


今回は発達障害をもつ親御さんが

多かったので、話のメインは発達障害児

の教育についてでした。

その中で出た話で、区議会議員で教育の

部会にいる議員の一人が


『障がい者を産まないようにすることが

いいのでは?』


のような発言をしていたと聞いて

ビックリビックリ

発言の意味がわかりません怒


もうさ、こういう発言をする人が議員で

いること自体がダメでしょ怒り


でも、こういうふうに考える人は少なくない

んだろなぁとも思いました。

だから、日本は障がい者に対してまだまだ

発展途上国なんだと。


このような人が少しでも少なくなるように

もう少し社会全体が障がい者を理解

できるような教育をしていくこと、

障がい者を区別することない社会の

土台を作ることが本当に

大切なのではないかと。


障がい者を変えるのではなく

社会が変わる必要性をつくづく感じました。