アドラー心理学ELM勇気づけトレーナー 本橋悦子です。
必要なだれかに届きますように…
ブログを始めてから私と息子を知っている知人からは「前向きですごいね」とか言われることが多くなりました。
だけど、私がこんな風に思えるようになるまでに4年という時間がかかりました。
4年です。
もう4年かぁ
まだ4年かぁ
長かったような…
あっという間だったような…
時間はかかったけど私はアドラーを学んだことで少しずつ自分と向き合い、息子と向き合い、私の置かれている環境を受け入れることができるようになってきました。
学ぶことはまだたくさんあるけど、自分が学んだことを周りにおすそ分けしていきたいと思っています。
では、息子のリハビリのお話を。
息子が都立大塚病院でリハビリをはじめて約1ヶ月くらいが経ちました。
体幹がない息子は、おすわりが出来るかできないかくらいの赤ちゃんみたいでした。
後ろで支えてあげないと、そのまま後ろにコロンと倒れてしまう…
PTでは、座る練習や座りながら周りにあるものを取っていったりしました。
そしていつも最後の時間は、車椅子に乗って、先生が転がすボールを蹴ったりしました。
息子は球技が好きだったので、車椅子サッカー(?)をしている時が一番楽しそうでした。
ボールが蹴れたり蹴れなかったりして、蹴れたとしてもコロコロと力なく転がる程度でしたけど…
先生がすっごく盛り上げてくれて、PK戦みたいなのをして、息子が蹴ったボールがゴールに入ると嬉しそうでした~
OTではお馴染みの革工芸をやってみました。
「やってみた」といっても先生が息子の両手をしっかり持って息子は操り人形のようでしたけど(笑)
どんなに些細なことでも息子が何かをしていることがとても嬉しかったです
でも、息子は、数の概念が分かっていないようでした。
↑これくらいならなんとか計算ができても…
これは私もショックを受けました。
それから毎日息子と一緒に数を数えました。
幼児に数え方を教えるように…
ある日、義理の両親がお見舞いに来てくれたとき、先生の許可を取って近くの公園に散歩に行きました。
笑顔で左手を高く挙げています。
この写真を急性期のときに大変お世話になった日大板橋病院の救命救急の先生にお手紙と一緒に送りました。
そうしたら、先生から連絡が来て、
「あの〇〇くんが、こんなに元気になってくれて本当にうれしいです!奇跡です!
今度、救命救急の勉強会があるので、名前は伏せますからぜひこの写真と一緒に〇〇くんの事故当日運ばれた時の状態から退院するまでの経緯をお話させてもらっていいですか?救命救急で働いている医者と看護師の励みになりますから!」
と言われて、もちろん快諾しました。
息子が誰かの勇気につながるのであれば、ぜひお役に立てさせて欲しいと思いました。
人はそこにいるだけで
きっと誰かの勇気になったり
生きがいになったり
役に立ったりして、だれかに貢献している。
そう思いました。
以前、息子の担任の先生が息子の写真を教室に飾らして欲しいとお話をいただいて、息子が無理やりピースサインをさせられている写真を送りましたが、ある日小学校に行ったとき息子の教室の後ろの壁に貼ってあるのを見ました。
社会から少し離れたところにいるように感じたあの時。
教室に貼ってある写真を見て、涙が出ました。
その時私に勇気をくれたのは、息子の担任の先生でした。
そして、ほどなくして神奈川リハビリテーション病院に転院の連絡がきました。
次回からは長い入院生活になる神奈川リハビリテーション病院でのことを書いていきたいと思います。