アドラー心理学ELM勇気づけトレーナー 本橋悦子です。
息子の怪我の経過とリハビリについて時々書いていきたいと思います。
思い出すことは山ほどあって、時系列が前後することもあるかと思いますが…
私と夫は、息子が事故に遭った後、今思うと直後くらいの感覚、脳出血を起こし瀕死の状態になってから、治療とリハビリを頑張った方々の本をあさるように読みました。
そして、ネットで同じような境遇の方のブログなども読んだり、息子の怪我の状態が医学的にどんなことなのか、どんな治療があるのか、後遺症はどんなものが考えられるのか、などなどたくさんの知識を入れようとしていました。
なので、当時の私たちのように今どん底にいる方々にほんの少しでもいいから希望の光を感じられるように息子の治療やリハビリなどのことを書いていこうかと思いました。
息子が事故に遭ってすぐ、息子の携帯から私の携帯に連絡をくれた方がいました。
その方は、救急隊員の指示で、
「息子さんが事故にあいました。今すごく危険な状態だそうです。今すぐ病院に運ばないと危ないらしいのですが、すぐこちらに来れますか?どのくらいかかりますか?」
とても緊迫した声で伝えてくれました。
私は
「すぐ行きます。5分以内に行けます」
と言って、すぐに家を出ようとした時、今度は家の電話がなって、小学校の先生からでした。
どなたかが、息子の通う小学校に連絡をしてくださって、土曜日だったのですが、たまたま学校にいらっしゃった先生が自宅に連絡をくれたのでした。
先生が話すよりも先に、
「息子のことですよね、今から現場に向かいます」
と言って、電話を切ってしまいました。
自転車を全力でこいで行きましたが、頭の中は冷静で、
「焦って向かって私が事故にあってはいけない」
そう思って、すれ違う人々、車、自転車、横断歩道などに気を配って現場に到達しました。
すでに警察官、パトカー、救急車、消防車と来ていて、横断歩道を少し過ぎたところには、息子の靴が片方転がっていて…
その近くには、血の塊があり…
自転車を降りて、警察官のところに行きましたが、急いで向かったというのと、今思うと動揺していたのもあったかと思いますが、思うように声が出ませんでした。
乱れた呼吸と一緒に
「本橋です。」
と一言伝えるのがやっとでした。
とその時、警察官から話を聞かれていた、加害者の運転手が私のところにパタパタと近寄ってきて、
「本当にすみません、本当にすみません…」
と謝ってきましたが、それを警察官に制止されて、私から離していきました。
その時の私は何も感じませんでした。
「この人が…」
と思っただけです。
その後すぐに救急隊員に促され一緒に救急車に乗り込みました。
息子の足元の椅子に座った私は、息子の右足首を握り締め
「お母さんだよ、わかる?お母さんだよ!」
と大きな声を出しました。反応はありません。
そのあと、処置をしながら、救急隊員の方も
「頑張れーー!!お母さんが来てくれたぞ!!頑張るんだぞ!!」
と大きな声で何度も息子に向かって呼びかけているのを聞いて、息子の命が危ないことを悟りました。
息子は日大板橋病院のこども救命救急に運ばれました。
事故現場と日大板橋病院が近くて良かった。
しかもそこは「こども救命救急」が設置されていることも本当に良かった。
すぐに処置室に運ばれました。
私はひとり待合室で待ちました。
何をどうしていいかわからない。
全く状況もわからない。
すでに私は感情を失っていたのかもしれません。
悲しみや不安や加害者への憎しみなどなにも感じませんでした。
涙も出ません。
取り乱すこともありませんでした。
ただ時間が過ぎていくだけでした。
次回は、事故当日の夫のことを書きたいと思います。