モラハラの大波小波の日々と新しい命を守る日々 | 人生私らしく  モラハラ夫と離婚。再婚して幸せの道へ

人生私らしく  モラハラ夫と離婚。再婚して幸せの道へ

最初の夫からのモラハラ、DV、洗脳。
18年続いた辛さと悲しみと孤独の人生。
やっと離婚を決意した時に起こった辛い現実。

どのように困難から脱却したのか。
ブログに記すことで皆さんの幸せへのきっかけになれたらという
思いも込めてブログを書いていきます。

妊娠がわかって彼に伝えても、ふーんの一言だった。

おめでとう。でもからだと心大事にな。と母。

そんなにすぐに次のこどもつくってお金大丈夫なんか?と義母。

義母は普通の人。悪気も何も無い。

思っている事を口に出してしまう人。

でもさすがに良い感じはしなかった。


妊娠は私ひとりで行える事ではないので。

それを言うのなら貴方の息子さんに言ってくださいと。それはいついかなる時にも無言でも投げかけた言葉だった。


妊娠した私の事を気遣う事をなどもちろんなく、

彼は彼のペースでお金も使い、浮気もしていた。

むろん私は今居る子どもとお腹の子どもと自身を守る為、見ざる言わざる聞かざるを徹底した。


妊娠7ヶ月に入ろうとした冬。

彼が家族で長野県にスキーに行こうと言い出した。


安定期に入っているとはいえ不安な気持ちもあり、

近場のスキー場を提案した。

答えはNO。

お前のとこの親も連れて行ってやるんやから、温泉のある長野県のスキー場を選んでやったのにと。


何に関してもこちらサイドの為と言ってくる。

旅費等全て私の両親が持つ事なのに。


父も母も行くと了承してくれた。

娘にとっても楽しくできるのならと私も行くと決めた。

車で長野県まで。今と違って高速道路が通ってなく、12時間ほどかかる旅となった。


旅行に行く前から胎動が緩い感じがあった。

ひとり目の時より胎動が浅い。

様々なストレスがあったのでそれが原因だと思っていた。検診では異常はなかったので。


入念に腹帯を巻いて車で長野に。


一才になった娘は雪に喜び、私の両親も温泉や久しぶりの旅に喜んでいた。


帰宅して程なく私は風邪をひいてしまった。

病院に行くも妊婦には風邪薬を処方できないと言われ、無理をせずに安静にとの指示。

漏れる事なく彼は不機嫌に。

安静にと言われても娘の世話と彼の世話はせねばならぬ事。

お腹に違和感を抱えながら数日すごしたある日、

痛みが走った。


すぐに病院へ。


陣痛が始まっていると告げられた。

まだ7ヶ月なのに。

なんとか止める措置をとってもらった。

が、陣痛を止める事が出来ず、出産するしかないと言われた。


このまま出産しても赤ちゃんが小さすぎるので、

障害が残る可能性が大きい。

今回は諦めた方が良いと言われた。

出産するのに諦めるとは?何で?

ご主人と早急に相談してくださいと。


彼は病院に居ない。来ない。連絡の取りようも無い。

母が病院側に母体優先でお願いしますと言った。

私は病院の産婆さんに、まだ若いからまた出来るよ。今も子どもいるしね。今回は諦めた方が良いと

頭が朦朧としているなかのその言葉にはいと言うしかなかった。


義母もやってきた。彼は居ない来ない。


そして私は出産した。


そして生まれた赤ちゃんは処置されることなく

亡くなった。


生きて産んだのに…


その夜彼が病室にやってきた。

ごめんと泣く私に彼は

何してくれてるねん!

お前が風邪とかなるからこんな事になって、俺は色んな人からお前が悪い!なんでスキーとか行った!

何してるんだ!!

と、悪者にされている!

どうしてくれるんや!!


訳がわからないとはこう言う事だと思った。

自分が悪いと責めた。

責めて責めて責めて責めて亡くなった赤ちゃんを愛しんだ。


数日入院したけれど、彼が病室にきた事はそれきり一度も無かった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いまだに夢に見ますね。

出産したのに、延命措置せずにって有り得るんでしょうか?

昔はいけたのか?

今はどうなのか?

756gで産んだんですけど。

丁度その頃山本譲二さんの赤ちゃんが、それぐらいの体重で大変だけど頑張って生きてます!

ってニュースで見て、芸能人のこどもなら生かせてくれるんやなぁと思った記憶があります。


いやーめちゃめちゃ責められました!

お前のせいやと。

思いやりのかけらもないガーン


そんな事よりも誰よりも自分を責めました。

守れなかった自分を責めましたね。


では次回へ続きます。