息子が

"お父さんと一緒にサーフィンがやりたい"
(今年はこの願いを叶えると夫婦で決めまして)

と言ってから4ヶ月経ちました。
この夏はそこに時間をかなりかけました。
(父親はラッキーとばかりに、セッセと支度をしてましたが爆笑)

息子が小さい時には、夫よしおが休みのたびに公園へ行ったりプールへ行ったり、私の方がセッセと家族の思い出作りに時間を割いていたように思います。
(その話はまたの機会に。娘の時はやめたのですあせる)

話を元に戻して。


そのためこの夏は息子ファースト、静岡にサーフキャンプへ行ってきました。
2日間、息子のサーフィンに取り組む姿を見たのですが、私は指導できる立場でもなんでもないし、何の知識もないのに口出ししたくなるわけですよ笑

(ポイント探しの途中で立ち寄りました)

まず、「早く海に入りたい!」と息子はりきって入って行ったのですが、波に数回巻かれて、怖くなり速攻で上がってきました。

ものの数分でビタビタに濡れて、トボトボと歩いてくる息子の顔は寂しそうで不安そうで、かける言葉もありません。

「自分の感覚を大事にしたらいーよ」
とだけお節介ながら声をかけましたが、なかなか海へ戻らない息子。

すると、なんか言わなきゃいけない衝動にかられたり、下記のようなことを口出ししたくなったのです。
(実際 ボソッと言ってる)

・ボーッと見てないで 小さな波でもやれることをやる
・怖いなら、自分のできそうなところを探す
・時間は限られてるよ
など根性論的なヤツね。

もう少し詳しく書くとすれば📝
()は言葉にしていないけど、思っていたこと。

(せっかく静岡まで来てるのだから)ボーッと見ていないで、(大小関わらず自分でチャンスを見つけて)小さな波でも(自分が今まで練習した)やれることをやる

*怖いなら、(時間が勿体無いから)自分のできそうなところを探す(ことをしないと、今日が終わっちゃうじゃない)

(さっきからボーッと見てるけど)時間が限られているよ


まったくもって大きなお世話なことを言いたくなるのと、

「あー、私 早く息子に上達してほしくて、もっと楽しんでほしくて、そのために"練習"させたいだなぁ」
とつくづく自分の思い通りにさせたいんだなぁふと思いました。

ボソッと上記のことを言ってしまうお節介母を横に、息子は割と冷静に長い時間海を見ていました。
(一応 私も今日は何も言わんどこと何度も自制している)


結局1時間近くは海を見ていたのだろうか。

夫よしおも一旦岸に戻ってきて、潮もちょうどよく引いてきて、お父さんと一緒にまた海へ戻って行きました。

最初私はよしおにも不満がムクッと湧いたのです。

"なんで、(出来る)あんたがはりきって(出来ない)息子を放っておくの?(息子できなくてかわいそうじゃん)"

戻ってきたよしおに思わず、
「息子怖いみたい」
と言ってしまうお節介妻笑い泣き

そこから、お父さんに教えもらいながら何度か練習しているうちに、息子は自信を取り戻したのか何度も何度も繰り返しています。
よしおはまた自分のやりたい場所へ行ったり、娘をサーフボードに乗せて遊んだりし、その間も息子は1人挑戦し続けました。

2日目も似たような事が起きたのですが、その時のことも含めて帰ってから色々と考えてみると。

・自分のタイミングは自分で決める
・最初の一歩の"誰か"は選べ
・行動と自分の気持ちは一体

こんなことを感じました。
・自分のタイミングは自分で決める
いくら周りがヤイノヤイノ言っても、最後の決断と責任は本人しか取れないのであれば、周りは見守りと適切なタイミングでの応援📣が大事だよなぁ。

・最初の一歩の"誰か"は選べ
これは夫よしおにモヤっとした部分でもあるのですが、結局 そのくらいの距離感が息子には良かったのです。最初からベッタリと一緒に練習するのではなく、息子が怖くて海から上がった時、本人自身が考える時間が持てたとことなど、よしおの適度な関わりが息子のやる気に繋がったなぁと。

・行動と自分の気持ちは一体
いくらやりたくても、いくらやりたくなくても、どちらにしても 自分の気持ちと向き合いながら進むことって大事だなぁ。

私にこんな学びがあると思わなかったサーフキャンプ🏕でしたが、とても楽しく終わることができました。

お見苦しいですが、私のキャンプの思い出は日焼け爆笑
曇りをあなどりました☁️☁️☁️












愛知県知多市にて、児童発達支援事業所nicoを立ち上げ4カ月が経ちました。

私の予想を超えた感じで子どもたちが通って来てくれます。(予想とは、人数も対象者もということ)

夏休み中の息子(中2)は、部活のない日を利用してnicoに働きにきました。(お金を稼ぐ!と本人)

彼の仕事はもっぱら子どもたちと"遊ぶ"なんですが、彼は子ども達から人気高いですねー。
ちょっとお兄さんってのが、子ども達にウケるのか、何なのか分かりませんが、息子はお昼までの予定で来たのですが本人から"まだ残る!"と言うので 結局 開所から閉所までおりました笑


帰りの車の中で唐突に息子から

「あの子達は障害なのか?」
と質問がありました。

息子にnicoと障害などの話をしたことはありません。
かなりダイレクトな質問に私がドキッとしたのです。


息子はなぜ来ているのか?が分からなかったらしく、目に見えて分かるものがなければ、何で?と疑問に感じたようです。

障害かどうかは分からないけど、と前置きをして
「例えばモジモジと、一緒に遊ぼうと言えずにウロウロしていることを不安に思う親御さんもいるし、私も色々あんたを心配したよ」と私。

息子曰く、
「自分だって、なかなか思った事は言えないけど 友達と遊びたいから 誘うように変えたんだ」
どうやら、自分も仲間に入れてもらいたくてモジモジしていたけど、小学3年生の頃から 自分から友達を誘うようになったらしい。


そして、私が「(障害が)見た目に分かっても 分からなくても、何度やってもできない事や変えられない事は人それぞれあると思う。あんたにもあることない?それを障害と言うかどうかは私にも分からないけど」

と話すと、

息子「脳が成長したら できるようになるんじゃないの?」
私  「脳の成長が年齢と合わないことや、脳の成長だけの問題じゃーないこともあることない?自分や周りが思ってたようにはできないこともあるじゃん。そういう場合はどう思う?」

息子 即答「え、それは 性質なだけじゃないの。誰も障害なんて言えないと思うけど」


ぐうの音も出ないというか、息子の中で

みーんな おんなじ子どもに見えて
みーんな かわいい子どもに見えて
みーんな そのままでいい

と思ったのだろうか。

息子は楽しかったようで、来週も働きにnicoへ来るそうです。
彼の人気の秘訣は、どの子に対しても分け隔てなく接するところだろうか、、、。
そんな気がする母なのでした。(それじゃぁ、まるで私が分け隔てているようですが、そんなことはありません!キッパリ!「曇りなきまなこ」というイメージで解釈してくださいませ)


それにしても、息子の話はいつもハッとさせられる。
当たり前のことをサラッと言うというか、邪念がないというか。






昨夜は友人の娘ちゃんのダンス発表会。
毎年日程が合わず、ようやく!
私の娘(小3)も誘ったのですが、お断り笑い泣き
一人で行ってきました。

ダンス発表会というより、ミュージカル的で曲に合わせて、ダンスで表現するというストーリーのある舞台でした。



とても素晴らしかったので、来年は夫を連れて行こう!と帰宅後 速攻で誘った(笑)

で、私は一人で来て本当に良かったと思ったのです。

めっちゃ堪能できた!!
私のこのグッとくる感情を自分自身で思いっきり楽しめたし、立ち上げた事業所のことやスタッフ、子ども達、家族、全てのことを明日からまた頑張ろう!と勇気をもらえたのです。


娘と来てたら、ここまで浸れなかったし、お互いに残念だったかも、、、連れてこなくてよかったと内心ホッとしたのです。

息子の時も多々あったんだけど、

"コレを観て 自分も頑張ろう!と思ってほしい"
とか
"コレを観て 何かを感じて欲しい!"
とか
"コレを観て やろうと思ってくれないかな?"

と思ってるだけならまだしも、口に出しそうな自分がいるからです。(口に出してたさ)

何かを観てとか 体験してみて その人の中の何かが動いた時に初めて 行動に移すことができると思うし、それは 決して長続きするかどうかはわからないもの。

それなのに、ついつい期待が膨らみ、勝手に落胆し、勝手に怒り出す💢という私のクセが強すぎて息子の時に学習した、

大きなお世話えーえーえーえーえーえーを危うく焼いてしまうところだったわけ。


娘にはいつか観て欲しいなとは思っているけど、初回は一人で来て、 誰にも気を使わないし、その後誰かと共感し合う時間も不要だったし、「あー楽しかった」と自分だけのもので幸せ♡


興奮覚めやらぬ前に 目の前に来た電車に乗ったら、自宅へ向かう駅からのバスがちょうど出発。

ラッキーが続いた自分にルン🎵としたのでした照れ

帰ったら 娘の方が どうだった?どうだった?と食いついてきたので、この興奮をそのまま伝え、私の役目は終わったのさチョキ