もう一ヶ月以上前の話。

息子は中学一年生のプチ反抗期であるため、私の話なんか 攻撃にしか聞こえない時も多々ある。


プチ反抗期だけど会話が無いわけでもなく、むしろ 近くにいすぎて 揉めるパターンな息子と私。

なので、調子の良い2人(息子と私)が先日、 意外と深い話になったのだ。

確か「最近どぉ?」と私から挨拶程度に話しかけてみたら、「別に〜」の返事。
私「ふーん、友達とはどーなん?」
(仲良い子がコロコロ変わるから、時々 聞いてる)

「別に〜」。
はい、会話終了になるかと思ったら、唐突に

「オレ今、断る練習してんだぁ」

どうやら、

・自分の気が乗らない
・自分の価値観や正義と照らし合わせて
・訳がわかんないこと

その辺りの事を、自分の気持ちと相談して断る事を意識的にしているらしい。

今までは何も考えずに良いことも悪いことも
OK‼️
と受け入れていた事が、どうやら"違う"んじゃないかって少し気がついたみたい。


ほ、ほう。
私は今も練習中なのに、中学生ですでに悟ったか。。。と、我が息子ながら すごいなぁと感心したのでした


息子の心の中は確実に成長していて、それを話してくれる まぁまぁ親思いな奴(笑)で、私はラッキーだなって思う。

息子の行動を管理することは 到底前にできなくなっているにもかかわらず、それでも まだまだ あがいていて、

"こうすれば、効率いいのに"
"なんで、出来んのかなぁ"

こんなことを怒り半分で思っているし、口出しする。
私が親として、何もできない事が悔しいというより、とっくの昔に子どもから大人に近づいて行っている事実に納得できないんだと思う。

だから、息子が自分の今の気持ちを話してくれるのは、ラッキー🤞なのだ。

決して、親子関係が上手くいっているから「話して」くれているわけではない。

犬猿の仲。本当に干支も息子が犬で私が猿で、犬猿の仲であーる。


息子が嘘ついている事もあるし、言わない事も山のようにあるけど、たまに話してくれる内容に"成長"を感じるのでした。
(その成長がいつまでも続くわけではないのだけどね)





昨年はこんな事書いてんだなぁ、、、。

何気に振り返った記事だったけど、まさに またこの瞬間に立ち会ったというか(笑)
1年経ってもまだまだ勉強中な部分。

仕事(保育士)上で、個性豊かな子どもたちと過ごしていると、私自身も気づかないほど "私の本心(価値観)"が瞬時に私の思考や行動にスチャッと入り込む事がある。

そんな時は決まって、子どもがかんしゃくを起こしているとか、ダンマリを決め込んだ時など、 園生活の中で"自由時間"ではない生活場面(例えば、粘土遊び→片付け→手洗い→お茶を飲む。など やる事が立て込む時)
で、十分に時間が掛けられない(と私が思っている)場面なのだ。

かんしゃくの理由、だんまりの理由を探したくなる。
=そういう状態を早く解決したくなる。(私の本心(価値観))のである。

その場面から 少し離れると、
「理由なんて本人も分からないかも」
「理由が分かっても そこを解決できる事でもないかも」
「本人がやりたくないと思っていても、本人が心の折り合いをつけるまで付き合ったらよかったな」

と思うわけです。

✳︎そのまんまのあなたでいいね。
✳︎気が向くまで付き合うよ。

相手は変えられないからこそ、私がいつも自分と向き合うのだった、、、。



あの22人の子ども達。

テーマ:

私が今、保育士という仕事を辞めずにいられるのは、保育士2年目に出会った、あの子どもたち その保護者 、一緒に働いた先生達のおかげである。


思い返して 立ち返る所はいつだって あの時。


新人の私には荷が重すぎるような、本当に色んな子どもがいるクラスだった。


毎日をいつも投げ出したかったし、全く信頼されない担任(クラスの半分以上は第2子だったし、私よりも年上ママばかり)の私は どうしていいかというより どんな顔して 日々の生活をお母さん達一人ひとりに伝えていいのか 分からなかった。


園の生活も人間関係も全て!

右も左も もっと言ったら 右も左も上も下も斜めも全部 分からんことだらけ。


だけど、入園式も月の課題も運動会もお遊戯会も次から次へと降ってくる。


いつも泣いてばっかりで、保護者にも

「まーた 先生泣いてんのぉ(笑)すごい素敵な運動会だったよ!」なんて励まされるほど(気を使わせて) 行事の度にたくさんの人に支えられてきたなぁ。


いつも助けてくれた先生にも

「まゆちゃん よう泣くねぇ(笑)

でも、そういう気持ち いつまでも忘れない先生で、いてね」

と言われた事が 今でも忘れられない。


その時は あまり意味が分からなかったけど(嬉しさとか喜びとか達成感みたいな そんな気持ち忘れるのか?みたいに)、確かに そういう気持ちが薄れていくような感じになっていく瞬間がある事を知っていったのだ。


イチイチ 全ての事に感動しない、というのか"慣れ"てくるのか その辺はよくわかんないけど、


"悪く言えば 感動の感度が鈍った"

"よく言えば、漠然と感動するのではなく しっかりと一人ひとりの成長を見る事ができるようになった"


のかなぁ??なんて思う。



私は今も昔も変わらずで、やっぱり全然上手く立ち回れる保育士(優等生)では無かったけど、あの新人の時の1年間は、担任発表の時には腰が抜けるような、絶望に近いような、困り過ぎて笑ってしまうような 試練が勝手に立ち向かってくるような日々の中に、子どもの成長、保護者との築かれていく関係、月を追う毎、行事が終わる度に実感する自分の成長、そして私と共に伴走してくれた先輩の先生の温かみが感じられる経験があったからこそ 「今」があると思います。