小さかった頃

あまり活発な子じゃなかったらしい


外遊びよりも本を読んだり

ひとりで過ごすのが好きだったらしい


あまり

記憶になくて

自分のことよく知らない

(もしかして闇記憶で封印してる?)


友達と外で遊んでいても

帰ってきてしまって

呼びに来ることがよくあったとのこと


ということは


私は運動音痴だったのではなくて

いろいろな遊びを通して

その時期のこどもたちが自然に身につける

ノウハウを得られなかった

ということなのかもしれない


だから今

遊びのような動きを通して

身体を知ることが出来ているんじゃないかな?


運動部に所属したことはなく

帰宅部もなくて文化部ばかり


運動はあまり好きではなかったし

体育の成績も悪かった


生活に困ることはなかったし

不自由も感じなかった


大人になってもそれは同じ


勉強したことが

社会に出てみたら

あんまり必要なかったりするのと

おんなじかなくらいのレベル


それがdanceに出逢ったら

とんでもなく不利なんだって

やっとわかってきた


つながってない身体でも

日常生活はできちゃうもんね(^^;


だから

道路に丸かいて遊んだケンケンパは

とっても大切


でも

あの頃いっぱい遊んだ人も

大人になったら忘れてるのかな?


ただ

知ってる感覚を呼び起こすのと

知らない感覚に出逢っちゃうのは

全然違う


とにかく無我夢中な感じだから

いまどこを使ったって尋ねられても

こたえられない


だって

すべてだもの


軸になってる脚も反対側も

体幹といわれるところも

アタマもなにもかも


あるいみ【混乱】みたいな?


ありとあらゆるひとりになれるところで

試行錯誤してみる


まるでこどもみたい


だから

他の人の何倍も楽しめるけれど

他の人みたいにうまくなれない


少しづつダンス基礎クラスで

紐解けてくることは

みんなにとってはあたりまえなのかもしれないと

ふと思った


この歳で新しいことや感覚に出逢えるのは

不幸なのか、幸運なのかはわからない


だけど

なんかものすごく楽しくて

得してる気がする


ひとつのことが

たくさんの出来るにつながっていくから


肩のチカラ

どんどん抜けていくといいなって思う

今日この頃です