こんばんは。
石川県、まだまだ余震がおさまらないみたいですね
1日も早く安心して過ごせますように祈っています。
前回のブログのつづきなります。
義父が亡くなり、
警察の方から主治医の先生と連絡つかないので警察関係の医師にみてもらう事になりますと。
医師の用意に1時間かかるといわれ、警察に義父を運ばないといけないと言われました。
警察からは、事件性はないとの説明あり、長い時間が終わりましたが、最後に念を押すように、
何か不審や納得いかない事 があれば解剖となりますが、どうされますか?とリビングにいる私達に尋ねられました。
解剖なんて義父がかわいそうだし、とんでもないと首を横にふり、その時もまわりの義母、義兄も無言で、そばにいた義兄のお嫁さんの顔をみたら、
同じ返事をされていました。
事件性ないのに、また改めて死亡解剖されますかと尋ねられたように後なり思えてきて、
警察もまた、ちょっと納得いかないことがあったんじゃないかと今なら思ってしまいます。
息子がひとりで留守番をしてたので、私はが一旦帰宅したその間に、
義父を警察に連れて行かず、
医師が来てくださったそうで、急に変わった経緯も私も改めて聞く事もなく、そのままになり後日、主人に尋ねても わからないようでした。
1日空け、明後日に通夜が決まり、私が居ない時に納棺師が来られ義父の後頭部から出血しているといわれ、それを見たのは納棺師と主人、隣の親戚の三人だけだったことをのちに主人から聞きました。
ハンドタオルが1枚真っ赤に染まるくらい出血していたそうで、
何故警察は後頭部のことをいわれなかったんだろうと?
その時は、色々終わって落ちついたら警察に行き尋ねようと心に決めていました。
警察からは、足の擦り傷があるから、外に出られたかを尋ねられたのに、
後頭部の怪我に関して、わからなかったはずはないだろうし、
かなりの出血が数日経ってもするものなのか?
もし、あの時警察が後頭部から 出血あると教えてくれてたら、私個人的意見としては解剖にと言っていたかもしれません。
とにかく違和感が後から後から出てくるのですから、どうしょうもありません。
1番の疑問は、なぜ義母がもっとはやく通報しなかったのかといったこと、そして義母と義兄が二人揃ってどうして義父の話題を一切しないのか?
ゆかんの時間に慌てて向かい、
白装束やきれいにしてあげるとき、義母の姿がなく、尋ねたらトイレからまだ出てこないと言われ、
なんだか、義母に対して、
亡くなっても、義父のそばにもいず、避けているように見え、
義母のことを観察するようなりました。
わざとトイレから出てこないのではないかとさえ思えてきて、普通なら、そばにいたい、
触れたいとか、
何かしたいと思わないのかな、
毎日点滴に出かけ、
義父の いる和室にはこず、ずっとリビングで過ごす義母に、違和感募るばかりでした。
トイレから出てくる義母を待ち、
お棺に入れられた義父に 向かって、「すぐ行くから、待っといてよ!」と言っただけでした。
触ることも、そばにいることも、思い出話も一切しない義母に疑問だらけ。
近くの家族葬会館を利用しましたが、通夜も義母は義父のそばにも寄りつかず、
部屋から1番離れた隅のロビーにずっといて、義兄と雑談していました。
こんな時も、親族集まることなく、みんなバラバラ。
早くついた私達は、会館の義父のそばには、一切誰も居ず、
通夜が始まる時間に、義母と義兄家族が部屋に入られました。
家でもホールでも、義父から距離を置く義母、
葬儀のお別れの場面の、
お花をお棺に入れてお別れするにも、
義母、兄夫婦、子供も会話もなく無言で無表情なお別れでした。
骨上げまでの待機時間も、義兄から急に
「こっちは〇〇に 食事予約してるから、お前らは時間までに各自家帰るなり、食事いくなり、好きにしてくれ」と急にいわれ、
義母と義兄家族は去っていきました。
はぁ?
今急にいわれて、各自どこかに行ってこい?思わず主人の顔みました。
主人は義兄と色々用事あるから、昼はとれないし、とにかくお前らでどっか行ってきてくれと、
結局主人とは別行動なり、後から聞くと食事も摂れなかったし、義兄とは別行動だったそうです。
主人の亡き姉の子供たちが子供を連れきていたので、うちの娘や孫10人近くが急に店入り食事できる可能性は、この時間なら無理かもと、
しかも骨上げまでの時間しかなく、結局店を当たりましたが、
ダメでした。
亡くなってから、通夜も葬儀もお茶ひとつ、お茶菓子ひとつ出さないし、みんなで顔あわせ集まり、会話することも、思い出話や会食も一切しない義母、義兄のやり方に、益々違和感あり、
田舎でまだ丁寧に色々する地域なのに、
こんな通夜や、葬儀みたことないなと。
しかもみんなで集まり話す機会をわざと持たないようにしているように私は感じてきました。
義父の思い出をするのは、孫や私達だけ。
義母や義兄夫婦家族は
一切、義父のことにも触れないし話さないのです。
葬儀会館と自宅が近くなので、
生前付き合い広かった義父の同級生や知り合いが、家族葬だけど手だけ合わせたい、
世話になったから顔だけみたいと来られても、
義兄や義母は、ことごとく断り、
しまいには、「ちゃんと断りんか」とキツい口調で言った義母に、私もさすがに我慢 限界で、
高齢なり、付き添われ参拝くださってる人や、
お別れにきた人に、そんな無理に断れないですよと、
うちの娘がみるに見かねて、その人を追いかけ、
申し訳なかったと謝り話したら、
義父との思い出をしばらく話をされたそうです。
義父が付き合いしたり、築いてきた繋がりを、まるで刃物でプチっと切ってしまうようなやり方に、義父の変わりに生前のお礼ぐらい いいのではと、
義父もきっと最後にお別れしたいはずと
融通きかない義兄、義母に
腹立たしい気持ちなりました。
お茶ひとつ身内にも出さない人達なので、
気分損ね帰る人にも気づかず、
普通はお茶くらい用事するんですが、主人に言っても、兄貴と母親の好きにやってるから
ほっておけと言うばかり。
そうしていたら、次々やはりお参りに来られて、
家族葬ですが、新聞記事に出ていたので、それで知ったと来られていた人ばかりでした。
娘が見かねて、自費でペットボトルのお茶を用意して数人に配ってくれました。
義父が親しくしていた従兄弟や親戚も、亡くなったことを知らせず、その日に義母は迷惑電話に登録し着信拒否にしていました。
なぜそんなことをするのか尋ねても、あやふやに聞き流すばかり。
あの人だけには知らせたら?と世話になってた親戚のことをいくら言っても、
義母は首をたてにふらず、
あやふやにし、改めてこんな頑固な人だったんだと。
でも、なぜそこまで絶ちきり拒否するのか、理解できない事ばかり。
なぜそんなことが出来るのかも不思議でした。
義父の携帯電話、自宅の電話も早々と契約解除して、
どんな人から、どんな連絡が入るかわからないのに、
何で?どうして?て感じでした。
骨上げ、義母なかなかしないので、 主人が声かけたら、
「私はこんなん嫌いやからしない」とキッパリいわれ
義父の骨はひらってあげなかったそうです。
私は、その時すでに
義母や義兄の顔すら見る気になれない状況だったので、後になり知りました。
88才で体調不良でもずっと義父が家事 全般を亡くなる間際まで義母の為にしていたと後になり、近所の人からききました。
義母は、少し杖は必要ですが、自分で歩けます。
自力して自分の事されてますが、義父はもっと自分の事されてたし、付き合いや全て義父で成り立つ家だったのかもしれません。
初七日と35日まで、お寺さんが来られた時は、義兄夫婦来られて仏間におられましたが、
それ以外は、来られても一切お義父さんに手をあわせたり、仏間にはこられず、
自宅の片づけのみ来られてたようです。
亡くなってからしばらくは、 義母 が居ましたが、
線香も灯籠もつけず真っ暗でした。
私達が毎日御詠歌をあげにいくと、義母はおられましたが
仏間にはこられませんでした。
田舎なので、49日までの間御詠歌をあげますが、
義兄も全くされず、たまたま片付けに来られていても、こられないし、
甥っ子がきたときは、さすがに義兄は仏間に来られましたが、
御詠歌をあげてる私達の
後ろに座り、机の上に肘をつき
眺めておられびっくりしました。
花も枯れ枯れでも、誰にも水すら替えてもらえず、想像以上にびっくりでした。
義父は寂しかっただろうな。
義母の方が高齢者で御詠歌も詳しいはずなのに、
夕方毎日御詠歌をあげにいくと、4日目ぐらいまで仏間にもこられず、リビングにいたままで、
やっと来られた時も、
全く声ださないし、
いつまで経っても、相変わらず、 義父の話も全くしないし、思い出話もされませんでした。
義姉も若くして亡くなった時には、
義兄はおまつりしてくれないから私達だけでといって義母達と
祭壇をかい、法事もしたのに、
義父の時は、世話になってたはずなのに何でこんな事ができるんだろうと。
あの夜いったい何があったんだろう?
真実を話してくれたら、私も義母の事を許せれるかもしれませんが、亡くなった日以来義父の話題や思い出話すら一切いわれませんし、私達とも距離置かれるようになり、
義兄とベッタリなりました。
今思えば、警官から
死亡解剖されますか?とまるで念を押すように言われたように感じ、
この違和感を全て、警察に話してみたいなと思っていました。
義父が亡くなり、通報されるまでかなり時間がたっていても、
どんなにおかしな格好でベッドで亡くなっていても、
足に擦り傷、後頭部に出血があっても、
その話題に全く触れず、びっくりもされず、また知ろうともせず、
無言で無表情を貫く義母と義兄に私は違和感しかなく、
主人にしばらくして思っている事全て話しました。
そういえば、おかしな点はあると主人も言い出し、
理解し難い義母の様子に、
きっと義兄には話していたはずだと、
だから余裕あり食事までして駆けつけれたんだと言ってましたが、真実はわかりません。
警察にいって、どうしてあの時後頭部出血を教えてくれなかったのか尋ねてたいと、
その後の義母や義兄の その後が不自然すぎると話したら、
もう何してもオヤジは帰ってこないと、もういいねんと落胆した様子でした。
自分の家族を信じられなくなったり、裏切られたり、嘘つかれ
るほど、辛いことはありませんから、1番辛いのは主人かもしれません。
死亡診断書には、心筋梗塞になったと思いますが、
骨上げの時にみた義父の骨は、高齢者とは思えない元気なパワーを感じ、未だ亡くなったと思えないと話したくらいです。
お医者様も、老衰ではないと仰ら れたときき、私はまだ義父の余命はあったはずと思っています。
もし、後頭部出血を早くに治療していたら助かった義父だったのかもしれないと思ったら、
悔やまれてなりません。
義母に、何を聞いても
わからなかったんやからしかたないと逆ギレされて、
もう話す気はないんだと確信した。
今まで見てきた義母はもういない、義父が亡くなってからは、
あれだけ義兄の事を愚痴る姿は一切なくなり、主人をないがしろにして義兄にベッタリにかわりました。
買い物行きたい、用事あるからとあれだけ主人に色々用事で電話してきた義母の連絡が、義父が亡くなった日以来全くなくなりました。
全て、義兄と義母が相談され、主人は蚊帳の外にされだしたこと。
主人の家族の分裂が始まっていました。
今、義母は、義兄夫婦がやってる高齢者介護付き住宅に入居されています。
義兄からは、義母の預金がなくなればどうするか、 利用料半分払えよとだけ連絡きたそうです。
生前義父から、全てやりくりしたお金は義父 が出し、義母は自分のお金は使わず貯金してるから、かなりため込んでると聞いていたから、
義母の施設利用料も、年金から出せば済む事であり、
ましてや自分の経営してる施設なんだから、なんとかなるんじゃないかと思えるし、
義父とは違い、大好きな義母の為なら、義兄も親身になるはずだと思うのですがね。
義父が夢か霊になって出て来て
真実を語ってくれない限り
わからない事だらけです。
主人の実家も代々続いた旧家ですが、仏間はトジメされ、仏間の花も枯れまっ茶色になってました。
欲しい荷物だけ持ち出され、主人が見にいった時は、
もう欲しい物もなかったそうだし、
もう、家が死んでるみたいになっています。
主人が一番つらいし、寂しいだろうなと。
あれだけみんなに優しく、動きまわり、気配りされた義父がいなくなり、
その人の偉大さがわかりました。
亡くなった自分の夫のそばにも一切寄りつかない、
思い出話もしない、涙流す事や手を合わす事もしない義母の姿をみて、こんな人が存在するんだと初めて知りました。
冷めた目線でみだしたら、
食欲ないとかお腹痛いとか自分の話しかしない義母が、
色々義父の事が落ちつくと、
ドンドン元気なられてます。
足が痛いからとか体調不良ではなく、昔から義母は義父を頼ってばかりの生活だったとわかりました。
最後の最後に、
家族がこんなバラバラになるなんて義父も想像されてなかったでしょうね
義父が築いてきた物全てが、
あの日から崩れ去り、家族がバラバラになりました
みんなで集まり話す事もなく、みんなで集まった笑顔も戻らない、
あの日はもう戻らないのです。
改めて、色々本当に義父さんありがとうございました。
これからは、辛い治療もなくなり、あの世でゆっくりやすんでくださいね。
そして、義母さん。
今までありがとうございました。
どうかお元気で。
私達は分かれ道にきたようです。
さようなら。
平等院いってきました
久しぶりに気分転換 できました。
帯状疱疹の指先痺れも、少し違和感はありますが、
今日やっとなくなりました。
ありがとうございました。