夫と結婚して10年ちょっと経過しますが、結婚当初は毎年引っ越しをしていました。
夫が毎年異動になるという稀な状況でして。
今回引越4回目です。
ちなみに広さですが、
引越すたびに部屋は縮小していき、今回久しぶりにゆとりある広さです
駐在時の家は、ホテルとアパート一体型のところに住んでいました。
200平米ありました。
20代半ばで生まれたばかりの息子を連れ引越。
大きすぎる欧米の家具とダイニングテーブル(しかも円卓)と椅子(高さが全く合わなくて座布団購入)
私は息子をベビーカーで部屋の中を移動し
食事の際はお行儀悪いですがテーブルの上にバンボを置きそこに座らせていました。
この円卓も10人座れる程の大きさなので対面して座ると遠い
あまりにも大きな円卓なので大きな花を毎回購入し挿していました
キッチンも大きな「コ」の字で、息子をベビーカーに座らせてお手伝いさんと食事を作る感じでした。
住んでいたところは毎日ベッドシーツの交換・ごみ捨て・簡単な掃除をしてくれたので有難かったです。反面、私はやることがなく時間を持て余しホームシックにかかっていました。
そこから駐在が終わり
2回目の引越は3LDK80平米に住みました。
その翌年に3回目の引越、73平米(だったかな)に住みました。
娘も産まれ息子も大きくなり狭く感じるようになり、
特にコロナ時期と娘の小学校受験の時は「狭いなあ」と思うことが多かったかな。
十分贅沢ですけどね。
そして今回の引越は85~平米に住んでいます。
私はわりと、こだわりがないようでどこにでも住める気がします笑 なんの宣言
そして今現在思うことは
今まで
自分がやってみたいこと
新しい分野に興味をもつこと
ほしいもの
私は全て「今じゃない」と思いながら見送ってきました。
そして子供たちのため、と信念をもち子育てしてきました。
しかしそれが崩れ落ちて
こんなはずじゃなかった
毎日思いながら生きていました。
生活という言葉で表現できないくらい。生きる という言葉がしっくりきます。
脱力・しんどさ・起き上がる辛さ・ため息は日常化・喧嘩
毎日しんどいね辛いねって息子と話していました。
この時点でアウトですよね
私の親から「あなた病院に行きなさい。鬱よ、それ!」と言われていましたが、病院に行く気力もありませんでした。
息子の学校や塾からも連絡があり、
毎日息子と大喧嘩しながらいろいろな病院へ行き、検査を受けることになりました。
育児本や受験本が眩しすぎてダンボールにしまいました。
お昼の時間も夜景もカーテンで覆いたくなりました。
カーテンがまだ(オーダーメイド)届かずレースのみだったので真っ暗にすることは無理でした。
今振り返ると、レースしかなくて良かったです。
最後は暗いブログになってしまいました