こんにちは、Katiaです。
会社を辞めてから早2ヶ月がたとうとしています。
あれだけ欲しかった時間が手に入ったというのに、気づいたら、カイシャインだったときより何もできていない気がして、自分にイライラしてしまいます。
今日は、会社に用事があったのですが、直接オフィスに顔を出すのはなんとなく嫌だったので、仲良しだった同僚をランチタイムに誘って、お願いしてしまいました。
その同僚は、私が入社した2、3ヶ月後に入社したこともあり、お互い、慣れない環境で助け合い、気も合い、仲良くしてきました。
これまで十数年間、2、3年に一度行われるリストラも共にかわし、一緒に頑張ってきた、いわば同志みたいな存在です。
私が、ただひたすら、毎日、13時間も、14時間も、オフィスで”仕事”だけに追いまくられている間、彼女は、結婚して、出産して、育児休業して、復職して、今は、子育てと仕事を両立して、かつ、自分の能力開発にも余念がない、スーパーワーママです。
彼女は、「今は、子育てに重点を置いているので、残業は免除してもらってるので、割り切って働いている。」とのこと。
たしかに、会社は子育て中の社員には寛大です。
フレックスタイム、時短勤務、在宅勤務が適用され、残業も免除されたりします。
正直、子育て中の社員のせいで、当たり前のように子育てに関係のない社員に余計な業務が押し寄せてくるという思いにとらわれ、そのせいでコアの業務に集中しきれない、と不快に思ったこともありました。
それでも、正社員である以上、子供を育てながら、仕事で結果を出して行くことは、本当に大変なことだと思う気持ちは本心であり、子育てしながら働く社員の人たちのことは尊敬しています。
そんな中で、私は、子供もいないし、家族の世話もないのに、これまで、会社で高いポジションを手に入れたわけでもなく、すばらしいキャリアを築いたわけでもありません。
結局、その仕事すら、捨ててしまったわけです。
そんな自分に不甲斐無さを感じ、どうせ1日の大半を仕事のために使っていたなら、何故、より輝かしいキャリアを手に入れるためだけに、頑張れなかったのだろうか、と後悔ばかりします。
いったい、自分、これまで何十年も何をしていたのだろう?
ああ、また始まりました。
自己嫌悪が。
自意識がしょうもないことをあれこれ言ってきます。
師匠の言葉を色々思い出します。
きっと、こんなしょうもないことを考えているのは、自分のエネルギーが落ちているせいなのでしょう。
過去は事実だけど、変えられない過去について悩むのは時間の無駄です。
確かに、今、こうして、「自分、何やってたんだろう?」と今思い悩んで貴重な時間を浪費してたら、数年後、「あの時、せっかく仕事を辞めて時間を手に入れたのに、なんで、前向きな行動に使わなかったのだろう」と、きっとまた悩んで時間を無駄にすることになるに違いありません。
師匠が言うように、”過去の私は今の私とは別人”と思うことにし、今、上手く行っていない状態は過去の自分のせいではないと考えることにします。
しかし、そもそも、会社を辞めて仕事を捨てたことは、”上手く行っていない”ことと同意語なのでしょうか?
会社を辞めたのは事実だけど、それは別の人生のスタートで、その人生が上手く行っているかどうかも、始まったばかりでよくわかりません。
今日、私が辞めた会社で頑張っている同僚と会って、そのあと、オフィスの近くのスタバにいたら、更に数人の同僚と遭遇したことで、なんとなく余計な想いにとらわれてしまったのだと思います。
私が耐えられなかった環境で、みんな頑張って働いている(もしかして、楽しんで働いている)と、思ったら、なんだか自分が脱落者のような気分になってしまったのです。
不思議なことに、今日会った同僚たちから、次々と、全く同じ言葉をかけられました。
「なんか、顔色良くなってるね。元気そう。」と。
今の自分は、過去の自分とは違う人間。
今日の自分は、昨日の自分とさえも違う人間。
だから、今日が、これからが上手く行くかどうかは、過去のこととも、昨日のこととも関係ないのです。
余計な思考にとらわれないように、行動しなくてはです。
働いているときは、昼休みも慌ただしく、ほとんど日のあるうちに帰宅することもなかったので、意識していなかったのですが、みなとみらいのビルの隙間から見える空は青くてきれいでした。