今日は、義母の喜寿のお祝いをしました。




えー、正確には、1年遅れであります…




お祝いするのは数え年で77歳のとき、なんですね(;^_^A




だから、ホントは、去年だった・・・




夫がきょう気づいて、知りました(((( ;°Д°))))




義父母が知ってたかどうかは謎ですが、




少なくとも、夫、義理の姉、私は、今日の今日まで知りませんでした;;;




おめでたいヨメです、まったく・・・






お祝いは義姉一家とともに義実家に集まって、行いました。




お料理は義姉の提案で「ケータリング」を初利用!




義母が好きな牛肉料理の定番、ローストビーフを




はじめ、家ではなかなか作れないようなお料理も




色々いただいて、




楽しく、にぎやかに過ごすことができました(´∀`)






今回のケータリングを注文するには




出前よりも高めの一定の金額で注文する必要が




あったのですが、割りばし、取り皿、お手ふきから




使用済みの容器を入れるためのゴミ袋までついていて




ちょっとフンパツしてお食事したいときや、ホームパーティなどには




いーなーと思いました音譜








さて。




義母は、40歳で私の夫を出産しました。






25歳の時には、最初の子を死産しています。






その時のことはほとんど話しませんが、ふつうに考えれば、




それはもう辛すぎる、悲しすぎる出来事だったと思います。






私が結婚して、娘を出産するまでに丸8年かかったのですが、




その間、義母からは一度たりとも




「早く孫の顔が見たい」などと急かされるようなことは、言われませんでした。




義理の姉に、姪っ子が生まれた時も、です。






夫の家族はもともと家族のイベントごとには




あまりこだわりのない雰囲気で




内孫の誕生についても




「関心が無いのかな・・・?」と思ったりしましたが、




私が娘を授かったことを報告したとき、義母が真っ先に




満面の笑顔でワーッと手を叩いて




心からの喜びを表してくれたのを見て




あぁやっぱり待ち望んでいてくれたんだなぁと、




それでも私ら夫婦のプレッシャーにならないように




表に出さずにいてくれたんだなぁと、実感したものです。








私が娘を授かるまで、ただひたすら




じっと待っててくださったこと。




娘が生まれてからは、生きがいのように




かわいがってくださること。




(決して自分のやり方をゴリ押しせず




私の考えを尊重してくださいます)






こんなありがたいこと、ありません。




辛い経験をしたからこそできる、心遣い。




気づけるまで、ずいぶんかかってしまいましたが。








実は。




娘の出産後、私ら夫婦の仲がとんでもなく悪化して




一年ほど、心理学のカウンセリングを受けていました。




その中で「夫の家族に問題があったから、




特に夫の母親に問題があったから




私ら夫婦に問題が起きている」というような




今となってはどうしようもないことをたくさん指摘されて




義両親と接するのがとても辛くなった時期もありました。






確かに、心理学的?にみると機能不全ぽい家庭ではあるんですが、




それは私が育った家庭も同じだし、




おそらく、どこの家庭にも多かれ少なかれそういう部分は




あると思うんです。






だから、今さら変えようもない過去のことを




コレがダメであーなった、アレもまずかった、と




欠点にフォーカスするより、




自分が今まで義両親にしていただいたことに感謝して




その気持ちを素直に表し、伝えていくことの方が




今の、そして「これから」の私にとっては、




何倍も何十倍も心を豊かにしてくれるんじゃないかと




思うようになりました。






これは、松井式で仏教をベースにした心の勉強をし始めて、




なんとなく思い始めたこと。








夫との間でも、同じようにできればいいんだけど…




それはまだ、難しいときの方が、多いです (;^_^A






その辺りはまた追々、書きます。










まだまだ色々、できてない時の方が多いけれど、




あちこちに転がっているであろう




感謝のタネ?に気づいて、




自分の心を豊かに、育てていきたいです。






最後まで読んでくださって、




ありがとうございます。