3姉妹長女の私。
思春期は共働きの両親に代わって末っ子の学童・習い事の送迎や家事など、長女として親の期待に沿えようと(というか文句を言われないように)頑張ってました。
同じ両親の元で育ったけど、まったく違うタイプに育った3姉妹。
私は私の意思で色々選択し、今の私になったんだと思っていたはずなのに。
ある日母親が、末の妹のことを
「仕事があったから学童に行かせてかわいそうなことをした」
と言ったのを聞いて反射的に、
「いやいやいや、私だってかわいそうでしょ!!」
と思ったのだ。
あんなに自分の選択だの私はかわいそうじゃないだの言ってたのに~!
私だって思春期の友達と遊びたい年頃に誘いを断ってお迎え行ったりかなり犠牲になったよね!?と思ったのです。
おもいっきり他人のせいでという被害者になってますね(笑)
でも、それが悪いとか良いとかじゃなくて、そういう自分がいた。
ただそれだけなんだなと。
感情に思っちゃいけないことなんてない。
だって湧くものだから。
(感情が湧く観念を持ってるというのもあるけど)
感情に囚われると苦しいけど、ただあるって認めて味わえば過ぎていく。
だけど気づかなければ感情はそこに留まり続ける。
自分への言い訳やこう考えるべき!に惑わされて自分の本音が見えなくなる。
初めて波動調整を知った時、自分の本音に気づき自分の観ていた世界がひっくり返って感動したなぁ。
気づけば選択することができる。
かわいそうと思う自分を選んだっていいし、やめてもいい。
今までの私というフィルターを通して観ていたかわいそうな私は今の私から観たら違ったのでやめました。
だって妹のことが大好きで、お迎えに行くこと自体は好きだったから。
それに友達と遊びたいからと交渉したことなかったし。
そんなこと言えない!とか思ってたけど、それは私が観ていた世界であって事実ではない。
現に次女の妹は行ってたしね。
そんなもんです。
私かわいそう!!と思ったのは、末の妹ばっかりじゃなくて私も見て!!という思いが正当な理由を探した結果だろうなと。
そうやって昔より少しずつ視野が広がって、広がった分楽になったなと感じるのでした。
~本質の自分に還る~