セミナーや講演会で、「SMCが大切です」というお話を必ずしています。
SMCというのは、「素直・前向き・チャレンジ」です。
先日、末っ子長男の誕生日でした。
3歳になりました。
3年前、3回目の出産は、
今思うと、「SMC」を実践したお産でした。
「ありがとう出産」と、呼んでいます。
「ありがとう出産」
というのは、大それたことはなにもしません。
とてもシンプルです。
陣痛の波が来る度に、
「ありがとう」
と、言うだけ。
主人と抱き合いながら、
「ありがとう。幸せだね。嬉しいね」
と、言い続けたのです。
これだけで、痛みの感じ方が全然違いました。
助産師さん達も、涙を浮かべながら介助してくださいました。
「幸せ」
を、その場の全員で体感・共有しながらのお産になったのです。
そもそも、なぜ私が「ありがとう出産」をしようと思ったのか。
「お産が、痛い!苦しい!しか味わえないなんてオカシイ。
産んだ後には、もちろん喜びはあるけれど、
産んでいる最中だって、喜びがあってもいいじゃないの」
という、
「ひねくれた考え」
からでした。
長い人類の歴史で、女性が命がけで挑むお産が、
「痛い・苦しい・怖い」
だけだとしたら、生命が続かないじゃないか、と。
もしかすると、
「お産の間にも、喜びがあるんじゃないか?」
と、疑問がわいたのです。
長女と次女の出産では、お産の間にしたことと言えば、
「痛みを、怒りに変えること」
でした。
痛みのはけ口に、陣痛の間は、主人を、グーでパンチ。
「もう無理!」
と、分娩台の上で、あきらめる。
こんな出産でした。
でも、3回目の出産は、
「感謝の心で、プラス思考で、幸せなお産をしてみよう」
と思ったのです。
「思考が現実化する」という言葉がありますが、今思えば、お産もその通りでした。
長女と次女の時は、出産経験者から、
「痛い」「苦しい」
という、不安になることばかり聞かされていました。
お産というのは、そういうものなのだ、と刷り込まれていたのです。
そして、
「痛い!苦しい!怖い!」
という思いが、そのまま現実になりました。
しかし、その刷り込みに対して、
「いや、ちょっと待てよ。もし、そうじゃないとしたら?」
と、3回目の出産では疑問を持ち、
「幸せなお産をしたっていいじゃないか」
という思いが、現実になったのです。
3年前。
主人と抱き合いながらのお産は、窓からキレイな夕日が見えていました。
あの夕日は、きっと一生忘れないと思います。
SMCというのは、「素直・前向き・チャレンジ」です。
先日、末っ子長男の誕生日でした。
3歳になりました。
3年前、3回目の出産は、
今思うと、「SMC」を実践したお産でした。
「ありがとう出産」と、呼んでいます。
「ありがとう出産」
というのは、大それたことはなにもしません。
とてもシンプルです。
陣痛の波が来る度に、
「ありがとう」
と、言うだけ。
主人と抱き合いながら、
「ありがとう。幸せだね。嬉しいね」
と、言い続けたのです。
これだけで、痛みの感じ方が全然違いました。
助産師さん達も、涙を浮かべながら介助してくださいました。
「幸せ」
を、その場の全員で体感・共有しながらのお産になったのです。
そもそも、なぜ私が「ありがとう出産」をしようと思ったのか。
「お産が、痛い!苦しい!しか味わえないなんてオカシイ。
産んだ後には、もちろん喜びはあるけれど、
産んでいる最中だって、喜びがあってもいいじゃないの」
という、
「ひねくれた考え」
からでした。
長い人類の歴史で、女性が命がけで挑むお産が、
「痛い・苦しい・怖い」
だけだとしたら、生命が続かないじゃないか、と。
もしかすると、
「お産の間にも、喜びがあるんじゃないか?」
と、疑問がわいたのです。
長女と次女の出産では、お産の間にしたことと言えば、
「痛みを、怒りに変えること」
でした。
痛みのはけ口に、陣痛の間は、主人を、グーでパンチ。
「もう無理!」
と、分娩台の上で、あきらめる。
こんな出産でした。
でも、3回目の出産は、
「感謝の心で、プラス思考で、幸せなお産をしてみよう」
と思ったのです。
「思考が現実化する」という言葉がありますが、今思えば、お産もその通りでした。
長女と次女の時は、出産経験者から、
「痛い」「苦しい」
という、不安になることばかり聞かされていました。
お産というのは、そういうものなのだ、と刷り込まれていたのです。
そして、
「痛い!苦しい!怖い!」
という思いが、そのまま現実になりました。
しかし、その刷り込みに対して、
「いや、ちょっと待てよ。もし、そうじゃないとしたら?」
と、3回目の出産では疑問を持ち、
「幸せなお産をしたっていいじゃないか」
という思いが、現実になったのです。
3年前。
主人と抱き合いながらのお産は、窓からキレイな夕日が見えていました。
あの夕日は、きっと一生忘れないと思います。