私は3.11の震災の時は福島県いわき市にいました。
私のお知り合いが何人も亡くなりました。
我が子が、赤ちゃんの時に発症していた疾患や、家系的に、ある病気の発症リスクが高かったために、原発事故に近い場所から、実家がある新潟に避難することを決めました。
家まで手放すつもりは全く無かったけれど、元夫がそれを決断したことに「わかったよ!付いて行くよ!」って決めて、3.11の3年後に会津に落ち着き、今に至ります。
我が子の命がかかっていたから、その選択は、あの時点ではそれで良かったのだと思って、前を向いて歩いてきました。
自分の人生の中で、馬鹿だなぁって思うことや、失敗した〜って思うことも多々あり、色々な事で反省しているけれど、でも、その時その時を精一杯に過ごしていたし、その失敗や経験も今の私に繋がる大切な出来事だったと思えているから、後悔することなく生きてきています。
自分で選択して進んできた道なのに、後悔ばかりを口にして、あたりどころが無いから、人にあたる。
そういう人たちからは、私は離れました。
私は、命を守るってことを大切に思っていて、それが一番のきっかけで結婚も決断したし、我が子の命を守るためにせっかく建てた家すら手放しても自主避難をした。子どもの巣立ちと共に、今度は、自分の命を守るために(ストレスで身体を壊して死にそうになったため)何も持たずに家を飛び出し離婚もした。
でも、自主避難生活も、他の人がきっと思うよりもずっと大変で、苦労もしてきた。昨年の離婚劇で何も持たずにお金も無い中で家を飛び出して、一人で生活を始めたのも、本当に大変だった。
無我夢中だったし、今までいい嫁であろうと自分なりに精一杯勉める中で、大切なものを諦めて手放してきたことが、あまりにもたくさんあったから、「今度は自分のやりたいことを諦めない!」って、へこたれすに頑張り続けて、身体を壊すんじゃないかと思うほどに我武者羅に働いてみたり。
今この1年間を振り返ってみると、どこかで、『見返してやる』みたいな邪な気持ちもあったような気がする。
今まで、無理してきたから、体調も、お金も、厳しくて、ため息がでることが、正直、いまだにある。
ただ、不思議だけれど、心が動いたことに、素直にチャレンジし続けてきた。そして、その先に見えたものもある。
一例としては、伊佐須美神社様で、太々神楽の奉納をたまたま目にして、その笛・太鼓の音に心が踊り、この伝統を継承していくためのお手伝いをしてくれる方を募集と聞いて「裏方でいいので何かお手伝いをさせてください!」って、その場ですぐに太々神楽のお手伝いを願い出たのが2年前。
まだ、元の家にいたので、正直、お手伝いとなれば夜に自宅を空けなければならなくなるから、子どものPTA活動ですら、嫌味を沢山言われる中だったのに、何も考えずに「やる!」って決断をしていた自分がいた。
なんで、そこまでして手伝いたいと思ったのか???伊佐須美神社様の婦人会のお手伝いでも良いだろうに、女性でお手伝いをしている人がほとんどいないのに、どうしても、神楽のお手伝いだけが✨ピンっ✨て来たので、ほとんど役に立っている感は無いけれど、なぜだか、ゆる〜くお手伝いを続けさせてもらっていた。
そんな中で、今回、何十年ぶりかに復活させる稚児舞のお手伝いのご奉仕をさせていただけることになった。
私は、もともとは、特別支援教育を専門に学んで来ていて、次の世代を担う子どもたちに、より心豊かに生活をしていくための方法を伝えていきたいと若い頃から願っていた。
それが、大好きで通うようになった伊佐須美神社様で出来る運びになった!
稚児舞復活が、太々神楽保存会に女性メンバーが入ってきたことで、走り出し始めた。
以前は70年以上も続いていた稚児舞。一度は途絶えてしまったけれど、これから100年以上は続くことを念頭に置いて復活の運びとなった!
更にその先には、平安時代から数千年も続いてきた神事や古くからの巫女舞の復活も今後目指しているプロジェクト✨
直感的に✨ピンっ✨ときて願い出た太々神楽のお手伝い。
とはいえ、実際、この2年間は、おじさま方のお手伝いをしながら、私は役に立っているのかな?本当にやりたいことなのかな???と思いつつも、少しでもお役に立てればと、ゆる〜い形で関わらせていただいてきました。
それが、ここに来て、こんなに素敵で壮大なプロジェクトに裏方として、ガッツリ関わらせていただけるようになるなんて、めっちゃ幸せです(*˘︶˘*).。.:*♡
昨日は、始めての稚児舞募集の説明会が開催されました!
来てくれたお子さん方みなさんが、「楽しい〜!やりたい!」とお申し込みをしてくださいました。
まだまだ募集中!まずは、8月7日の七夕祈願祭で披露となります。これからの練習会が楽しみです(^○^)
そして、不思議なのですが、この活動に関われせてもらうにあたり、『元夫が会津にこだわってくれたこと』が本当にありがたくて、、、。
私の顕在意識のなかで、2年前は、今頃、会津を出て、福島県内のどこかの地で、元夫と二人暮らす未来を思い描いていたんです。
単身赴任していた元夫に「会津に戻ってきてほしくない!!!会津を出て二人で暮らしたい!」って懇願したけれども、頑なに「会津に戻る!」と言う選択肢を譲ってもらえなかった。
一次的にでも、夫婦二人だけで生活できる事を夢見てフリーで活動してきた私も、結局、会津美里町の元の職場に戻る手続きを始めました。
その後、『離婚する!』って決断した時に、会津に居る選択肢しかなくなっていました。
元夫に対して本当に嫌だって思ってしまっていたこと(子ども達が巣立ち、一次的とは言え、やっと大手をふって二人で暮らせると思っていたのに会津に戻ると言って聞かなかったりとか、私の実母に取り入り私が実家にも戻れない状況に追い込んだこと)のすべてが、今の私にとっては、結局は、ありがたいことだったのです。
晴れて離婚も承諾してもらったので、今は思いがけず、太々神楽のお手伝いや、稚児舞のお手伝いは、仕事帰りの夜の活動が多いのですが、時間も気にせず、心置きなく楽しみながら活動させていただいています。
今は、自分が想像していた以上に、やりたい事に打ち込める生活をさせて頂いています😊
稚児舞復活の活動に関わらせて頂くようになり、麻を結ぶ学びに対しても、何に向かって学んでいるのか???が自分でも、正直、よく分からずにお金をかけてやって来たけれども、伊佐須美神社様でお役に立つことがあるんだなぁ〜ってことに、今回、気付かされたり、、、。
潜在意識の中では、もしかしたら知っていたことなのかもしれないけれど、いままで普通の生活の中では思いもつかなかったことが、ありとあらゆることで面白いように現実に結びついて、やりたいことが明確になってきています!
伊佐須美様の大神様のお力って、本当に凄いです!
(私は、神社巡りが好きになったのは会津に来てからで、祖母の実家がお寺だったこともあり、小さい頃は仏閣めぐり好きでした。高校はカトリックの学校だったから、教会も大好き。私は、無宗教で、神道一筋とかでも無いのですが神社巡りも好き♡)
そしたら、6月25日に放送された『ヒューマングルメンタリー オール関東2時間SP オモウマい店』で登場している千葉の『チキボン亭』さんの、社長さんと店長さんが、伊佐須美様のご利益について話されていました!
台風でお店がメチャクチャになってドン底になった時に、伊佐須美様に伺い、その途端にお店が繁盛したとの事!今でもお礼参りに来られているとのことでした(^^)
今ならば7月2日の18時59分まではTVerで見ることが出来ます(*^^*)
店長さんのキャラが素敵でめちゃくちゃ面白かったです!その中の20分位のところで伊佐須美様のご利益があった時のお話もされています(^^)
その店長さんが、お腹がすいていると人はろくなことを考えない。お腹がみたされるって大切だと話しておられました。とても共感しました!
実は私の大学4年生の長女が、高校生の時に、「ママ、お腹が満たされたら、どんな子だって悪いことはしなくなると思うの。だから、私、大学を出て最初は仕事につくけれど、歳を取ったら、子どもたちがお腹が満たされるような場所を作りたいと思っているんだよね」って話してくれていました。
さらに、私が昨年、裸一貫で家を出て、とても苦しかった時に、「人はね、お腹がすくとろくな事を考えない。お腹が満たされていれば生きていけるから」って、伊佐須美神社の宮司様に「いつも一生懸命にお参りしてくれるから、これは神様からのお下がりだから受け取りなさい」と言って、お祭りのお餅を分けて頂きました。
涙しながら食べさせていただいた経験があります。
神様のお計らいって、本当にありがたいなぁって思います。
苦しいときだからこそ、でも、その中で、精一杯のお賽銭をお捧げしてお参りさせて頂いていたら、それ以上の形で、恵みを与えていただけた。
同じような経験を、他の方もしているんだなぁと実感しました。
直感で、これだ!と思ったことを、なぜだか分からないけれどチャレンジしてみたり、続けていった先に、ワクワクの未来が広がったりする(*^^*)
ただ、人って、変化を嫌う性質をもっているものなのです。そのブロックを外す力はみんな誰でも備わっているけれど、一人ではなかなか乗り越えられなかったりする。
でも、誰かと一緒だと乗り越えられたりする(*^^*)
それを発動させる、心が温かくなるようなお手伝いを、これからも色々な形でしていきたいと思っています!
(冒頭の写真は今年の夏至の日の伊佐須美神社西門の様子です。なんとなくお日様がハートに見えました〜🩷)
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