今年も最愛の母親の命日が巡ってきた。



突然の事故で亡くなったから、
自分が死んだとも気づかないまま
だったかもしれない母も
今は当たり前に近くで
見守ってくれてるのだと思う。


今年の3月23日といえば、
暖かいけど寒い
寒いけど暖かいという
春らしい気候。


何故か片方のレンズと
ネジが突如外れた眼鏡を
眼鏡屋さんで直してもらって。
白いパーカーとカバンを買って、
食べたいものを食べて、
あっという間に過ぎていった。



本当はお墓参りに行こうと思ったけど、
20日に七回忌の法要で
お墓の掃除とお墓参りを
したばかりだからと省いた。



私の母は2月が誕生日で、3月が命日。
誕生日と命日が続くってなんか不思議。

父親もそう。
だから余計何かあるのかと思ってしまう。



お誕生日の方が特別な感じあるのに
なんだか大切な人の命日も
私にとってはとても大事なようで、
もちろん決して楽しみではなく、
なんだか憂鬱な自分で
毎年この日が来るのを
数ヶ月前から
カウントダウンしてしまう自分がいる。



母を喪くしてからというもの、
毎年1〜3月はいつも年明けから
全くおめでたい気持ちになれないまま
ドンヨリと1人で底辺を歩いている気がする。


かといって笑ったりするし、
遊んだり、楽しい時間もある。



この季節が来る度、
私の記憶と細胞にこびりついた
辛い思い出がどうしたって
いつも以上に鮮明に蘇る。


最期に一緒に過ごせた日から
どんどん遠ざかってしまう寂しさ
遠ざかるごとに変わっていく自分の感覚。


それをいつも眺めてみる。
あぁ、今年は
こんな気持ちになるんだなあと
1人で自分を見つめる。



宇宙元旦と言われる3月20日
期せずして七回忌の法要が
無事執り行われた。


花粉症を少しでも柔らげる気休めとして
天気は曇りくらいがいいなあ、、と
事前に願ってたら
午前中は見事曇り。笑
午後にかけて晴れて暖かくなったけど。


なんか3月に入ってからは
この事でやたら気が張ってた_| ̄|○


今回初めて法事の主催というのかな...?


今まではすべて父がやってくれてたこと、
お寺やお花の手配から何から何まで
これ、大体、
長男がやるんじゃないのか?キョロキョロ
と思いつつ、
仕事してて法事に関して
動く気配のない兄をよそに
ほぼ私が1人で済ませた。



32歳と35歳が
この歳で親の七回忌の準備する人って
滅多にいないよね...なんて、
2人で嘆きつつも、やり遂げた。



僧侶にお布施を手渡すときも
やたら緊張して、
袱紗の代用として使った
ハンカチがぐちゃぐちゃだったわ、、滝汗


法事用の袱紗、、
買っておこうと思ったよね。。

結婚式用のピンクの袱紗しか持ってなくて。




はあ、、がんばったなあ。



法要中は涙もなく、
粛々と時間は過ぎていった。


コロナ禍なので会食はせず、
兄と2人で焼肉食べた。仲良しか。



そしてお彼岸明けの23日には
7年目の命日を迎えた。


6年間、
あっという間に経ったなあ。



最愛の母を想像もしていなかった速さで
喪った絶望感と無力感から
秒で抱いた希死念慮。


それでもなんとか前を向いて
生きていく為に
藁をも掴む思いで6年前に願った事。


こんな状況でも少しでも
楽しく生きるにはどうしたらいいのか
誰か教えてほしい
誰か私にその方法教えて
そんな方法でもなければ
私はもうこの世界に生きていられない

毎日寝てる時間でさえ夢を見たりして
目が覚めてる時はずっと苦しかった。

心も身体も息が苦しくて
上手く呼吸ができない毎日が続いた。
ただ毎日をやり過ごして
生きているのがやっとだった。
涙は一生枯れる事はないと確信してた。

そんな私の密かな願いが届いたのか、
それから割とすぐに
ハッピーちゃんという存在を知って
自分の望む意識の在り方を知って
暗闇しかなかった心に光が差した。

少しずつ少しずつ
崩れ去って散り散りになった心を
拾い集めて今日がある。

母を喪う前の自分に
まるっと戻ることはできないけれど、
新しい形を見出しながら
今日まで生き抜いてきた。

母の4年半後には父も亡くなって
それまで時間をかけて
少しずつ立て直した心が
また一気に崩れたけれど
4年半かけて得た知識や、
宇宙理論を知っている私は
あの時の私より少しだけ強い。

それでも命日はね、
これまで一生懸命生きてきた自分を
いつも以上に褒めてあげる日でもある。

誰に褒められなくたって
自分で褒めてあげればいい。

よくやったね!よく頑張ったね!
死にたいと思いながらも
よく生きてきたね!
一生懸命生きてくれてありがとう!って
自分に言ってあげるの。
なんか涙出るよ。
あぁ、私寂しかったんだ、
辛かったんだなぁって思う。

辛かったり寂しい気持ちって
誤魔化したり
自分でも気づけなかったりするから。

頑張り屋さんな人は
どんな時でもどんな些細なことでも
自分を褒めてあげて欲しい
いや、どんな人でも
自分で自分を褒めると凄くいいよ。←


放っておけば勝手に立ち直るわけじゃない
勝手に元気になるわけじゃない
元気そうだからって強いわけじゃない
心の中はシェアしない限り見えない


大好きなsuperbeaverの歌で

"時間が解決してくれる
もうその通りだと思う
でも正しくは生き続けてる
自分が導いてる"
「27」

っていう歌詞があるの。
歌詞を書いてる人と同い年で、
この曲がリリースされたのは
母の亡くなった年であり
ちょうど私も27歳になる年だった。


初めて聴いたとき、
そうだよね、
よく言ってくれたありがとうぐすん
と思った(謎の上から)



日にち薬や時間薬という言葉は
短絡的で好きじゃないけど、
私はこの歌詞が凄くしっくりきた。


命日は一区切り感があるけれど、
感情に区切りはつけられないし
割り切れるものでもない。



今までもこれからも
笑ったり泣いたり怒ったり
その時の感情を
めーいっぱい感じながら
自分の願いや望みを素直に放ちながら
少しずつでも前に進みたい。





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