先日、父が亡くなって
4ヶ月が経ったと書いたけど、




昨年の5月末に
父が病気と余命宣告されてから、
亡くなるまでの期間も
約4ヶ月だって気付いた。




あの時はほんとに
まさか?って感じで、
私のお父さんは
絶対に死ぬわけないって思ってた。



まだ65歳だし、ありえないって。




命あるものはいつか必ず死ぬのに、
いざ目の前にやってくると
到底受け入れることができない。




一体この人は
何を言ってるんだろう??って
冷徹に淡々と伝えてくる医師の言葉を
全く脳が理解できなくて、
受け入れることもできなくて
すっごい俯瞰してた。




??????????

↑当時の頭の中こんな感じ。




真っ白というのかな。




まるで自分の人生に起きている事とは
思えないような感覚。




そのあと伯父と今は亡き祖父と
父と相談して
免疫治療に切り替えるから、
抗がん剤はやりませんて伝えた時も


「分かりました。
じゃあまた元気になったら
顔見せに来てくださいね」って
言ってた言葉も
今になって思い出すと
嫌味っぽくてすごい腹立ってきて、
泣けてくる。




父もあの医師の口ぶりに
かなり機嫌を損ねていたし、
もう2度とあの病院には
行きたくないと怒ってた。



医者って病気が治せないとなると
あっさりと
サジを投げるもんなんだと知った。



あの衝撃的な
ドラマのワンシーンみたいな日から
4ヶ月でどんどん弱っていって、
すごく濃かった気はするけど
過ぎてみたらそれはそれは
あっという間。



そしてそこから更に4ヶ月の今。


どちらにしても
あっという間だった4ヶ月。




あっという間、多用笑い泣き




せめてもう少しくらい、
余命をくれてもよかったんじゃないってくらい
突然感はある。




4年半前に母親を喪った時は
あまりにも突然だった。



だって、
さっきまで笑って会話してたよ?って
次の日一緒にランチしようって約束をして、
お母さんも私も
とても楽しみにしてた。



目の前で青白くなって
舌を出して苦しそうにしている姿を
当時26歳の私はオロオロしながら
救急車を呼ぶしかできなくて。


お母さんは家で眠ったように倒れたまま
病院に運ばれても、
2度と目を開けることはなかった。




今年の3月で
母が亡くなってから5年が経つけど、
あの日のことを思い出すと
今でも秒で泣けてくるし、
一瞬で闇が心を覆い尽くす。


今も全然癒されてないって思う。



母の時は
信じられない気持ちが大きくて
複雑性悲嘆になった。



※複雑性悲嘆とは






だから、
こんなに辛いなら、
突然死はもう嫌だ!




病気になって
余命がわかっている方がまだ
色々やれる事があって羨ましい。



そんなこといっても
心の準備はできないかもしれないけど
突然ポン!といなくなるよりマシだ。


そんな風に思った。





だから今回、父の場合は
神様がそういう
シナリオにしてくれたのかな?
とか思ったけど、




実際に経験してみたら、
病気で余命を告げられることの辛さ
日毎に弱っていく父を間近に見て
まるで死への
カウントダウンをされているような
あのなんとも言えない
こちらまで
生きた心地のしない苦しみを実感して、
ひそかに前言撤回した。





でも、
余命半年、1年、3年、5年、
人によって色々あるかもしれないけど、
4ヶ月って、、、短すぎない?




こんなのほとんど突然死と一緒ショボーン




同じくらいの歳で独身で
パートナーもいないまま
親を亡くした知り合いが周りにいないから
私と同じような境遇の人が
こんな時にどう思うのか?
どう感じるのか?って、すっごい気になる。



もし私と同じ歳で同じように
最愛の親を亡くしたとしたなら、
みんなはどう思うんだろう。
どう感じるんだろう。
  

環境も感性も違うんだから
全く同じ境遇っていうのは
ほとんどありえないと思うけど。



経験しないと
絶対分かりえない気持ちってあるけど
この複雑な気持ちを
自分だけで抱えるしかないのって
すごく孤独。





だからこそ、
八木さやさんのいう
孤独は豊かなことだとか、
孤独と手を繋ぐという言葉には
ほんとに救われてる。
(八木さやさんのいう孤独は
死別から孤独な気持ちになってる
ってことではないと思うけど..,)




孤独でいいし、
孤独だからこそ見えることがある。



更に私は
絶という
星を持って生まれてるから
必要以上に
感情的になってしまうし
人一倍孤独も感じやすい。




ちょっと元気に旅したり、
遊んだりしていたら、


あぁ、
もうMIHOは元気そうだな
大丈夫だな
なんて思われるんだろうか。とか。



全然そんなことはないのに。



人知れず悲しんでいるんじゃないか?
無理してるんじゃないか?と
優しい眼差しで
見守ってくれているんだろうか。とか




他人のほんとの気持ちなんて
到底分かりっこないのに
1人でいたって
どこまでも人の事を頭に入れて
人から自分がどう思われるか気にして、
人の事を考えてしまう自分は
つくづく偏財星の性質出てるな〜と思う。




お母さんの時も
ふとそんな事を思ってた。




会う人会う人に
元気?って聞かれても、
全然元気じゃないのに元気!って言えないから
まあまあ、とか
ボチボチ、、とか言ってた。



もう、返事に困るから私に「元気?」なんて
聞かないでくれ〜笑い泣きと思ったり。





お父さんが亡くなった時は
お母さんの時とは感じ方が違っているのは
自分でも分かった。




お母さんが亡くなった直後は
あ、もう死にたい
生きてる意味ない
って思ったけど、


お父さんの時は、
あ、生きなくちゃ
生き抜こう!
ってわざわざ思った。



自分への決意みたいな。




それでもやっぱり
30歳を過ぎたばかりで
大好きな両親が2人ともいなくなるって
なんか凄く心細い。



今までずっと心の支えだった分、
人に甘えたり頼るのが苦手な私が
唯一、
気兼ねなく甘えたり頼れる人達だったから、
余計に寂しい。




家族がいなくなるってことは
思っている以上に
心身にダメージがかかる。




特に私はマザコンファザコンだったから
今の人生の試練感がすごい。





今日もよく頑張ってるね!
今日もよく生きてるね!って
どんな私でも最高だよ!って



言葉の魔法。




すぐ忘れちゃうから、
思い出し次第、自分で自分に声をかける。










MIHOおすましペガサス