*あくまでも個人の見解です。
*本稿は過去の限定記事を再編集したものです。

前回のお話
「謙虚さの欠如」「不遜な態度」で問題を引き起こす例として、特に高学歴女性にありがちな「選民思想」について述べます。

選民思想
多くの男性と違って、女性の場合「ガチで勉強して大学に入る」というのは「人生の選択肢の一つ」です。学生時代、ほとんどの男子は「勉強して稼げるようになれ」というプレッシャーを受けて育ちますが、女子は「勉強して大学に行くのも選択肢の1つ」という位置づけになっている学生が少なくありません。

その筋の人たちはこれを「男女平等じゃない」「ジェンダーバイアス」と批判します。確かにジェンダーバイアスがかかっている考え方であり、男女平等ではないです。
でも、この30年、女性を啓蒙しても、ほとんどの女性が「自分が働いて夫と子供の食い扶持も稼ぐ」なんて考えなかったでしょう?「女性の自立」と称して「自分の食い扶持を稼ぐ」、もっと頑張っても「シングルマザーになっても経済的にやっていけるようにする」レベルに意識が留まっている限り、本当の意味での男女平等など実現するわけがありません。
自分の食い扶持だけでなく将来の家族の食い扶持も考えないといけない男性と、自分の食い扶持の心配すら「配偶者に任せる」という選択肢が存在する女性で、高い熱量で学業や仕事に取り組む男女の数が同じになるわけがありません。


こんな社会の価値観もあり、男性の場合は「勉強が得意だから高学歴を得た」となるところ、女性の場合は「勉強して高学歴を得た」の前に「ガチで勉強する選択肢を選んだ」という1ステップが追加されます。
この「ガチで勉強する選択肢を選んだ」という1ステップがプライドをより一層押し上げる要因になっていることが多々あります。ここに高学歴女性に「選民思想」が発生する主因があります。
更に、主に中高年男性による「総合職採用では男性より女性の方が優秀」というリップサービスを真に受けて、学生時代の成績が良いだけで社会で実用性のある能力やスキルがあるわけでもないのに、勘違いして更に増長するイタい高学歴女性が出てきます。


しかし、高学歴女性がどんなに能力が高かろうが、一人でできることには限りがあり、周囲の人間との関係性なしには仕事は成り立たちません。そして、「選民意識」を持って周囲の人間を「格下」に見ていたら、周りの人間とまともな関係を築けるわけもありません。
ここで特に問題になるのが、「ガチで勉強する選択肢を選ばなかった」と高学歴女性が考える、一般職やアシスタント職という職域の、特に女性メンバーを「見下す」意識が出ることです。自分を「女性の中で選ばれた存在」だと思っているのが、態度にも出ていて、男性メンバーから見ていても「見える」ので、女性だともっと敏感に感じていると思います(医療業界で言うと、コメディカルを下に見てる医師)
昨今では男性の方が「性別、職域が違ってもニュートラルに対応すること」を教育され意識にインストールされているので、内心どう考えているかは別として、表面上は上手に立ち回っています。
結果、高学歴女性は、一般職の女性メンバーを含む周囲の同僚から同格の総合職男性よりも雑な扱いを受けることになり、仕事が上手く回らなくなります。


更に面倒なのは、この状況を「自分に原因があるのではないか」と考えず、「自分は高学歴だから周りが嫉妬している」「一般職の女は男に媚びている」と考える高学歴女性がいることです。客観的には自分をメタ的に知覚できない「イタい人」なのですが、学業に秀でているからと言って、必ずしも自分を客観視する能力に優れているわけではありませんし、人によっては他責性全開の「間違いを認めたら死ぬ病気」に罹患していたりします。「触らぬ神に祟りなし」の精神で周りの人間は更に関わり合いを減らすので、ある意味「本当の選ばれし者」になっている、とも言えます(笑)。


とりあえず、こういう類の高学歴の人間に必要なのは「性別・経歴に関わらず同じ人間である」という意識改革です。組織の同僚は召使いでも下僕でも奴隷でもなく、等しく人権を有する対等な人間なのです。
また、そんな残念な大人にしない為にも、たかだか他人より学業成績が優れている程度のことを、過度に褒めそやす教育は慎んだ方が良いと考えます。

その3に続く



参考