*あくまでも個人の考えです。

昨今の大学入試では、伝統的な学力試験が減少し、総合選抜や推薦などの「非学力入試」が幅を利かせるようになりました。
本稿では、伝統的な学力試験を支持する立場から、何故、大学入試に向けて学力を研鑽する必要があるのかを述べたいと思います。



必要とされる「高校卒業相当の学力」

日本の社会で「大学を卒業していることが要件の仕事」には、「高校で学ぶことは理解している前提」の事柄がたくさんあります。
日本語・英語の読み書きができる、微積分や三角関数、指数・対数の概念くらい理解している、高校で学ぶ初歩的な理科の概要くらい知っている、日本や世界の地理や歴史の概略くらいは知っている、このあたりのことを「学んだことがある前提」で、仕事の業務も教育プログラムもマニュアルも設計されています。専門職であっても「専門以外の高校の学習内容くらい分かっている」前提での「専門知識・技能」です。
「大学で学んだこと」は人によって多岐にわたる為あまり問われませんが、そのベースとして文系理系を問わず「高校までの学習内容」が身に付いていることは、仕事をしていく上で当たり前に求められます。そして、この「高校までの学習内容」が身につく最も効果の高い方法が、大学の一般学力試験に向けて勉強することです。
残念ながら、高校の中で行われるテストなどは緩すぎて、学力の醸成には寄与していません。その場凌ぎの付け焼きで何とかなってしまいます。第三者による忖度のない大学の入学試験があるからこそ、学生は勉学に励み「客観的に評価される学力」を身につけようと努力します。

現在の高校や塾・予備校の進路指導で、本当にそのあたりを真面目に考えているのかな?と疑問に思うことがあります。学校・塾も二分化が著しく、昔ながらの「一般学力試験」にこだわる学校・塾がある反面、安易に「総合選抜」「推薦入試」を薦めるところも見受けられます。
「推薦」「総合選抜」「内部進学」で大学生になり卒業することは可能です。口の悪いことを言うと、明らかに「高校卒業レベルの学力」がなくても大学に入学して卒業できます。
しかし、社会人になって「高校までの学習内容」が身に付いていない言い訳は誰も聞いてくれません。「自分は勉強してないんです」と言ったところで、「仕事に必要なので自分で勉強してきてね」で終わりです。「高校で習う内容」というのは「大卒社会人に求められる最低限の知識」とも言えます。

その「最低限の知識」がない状態で大卒社会人をやっていくのは、結構大変だと思います。「いや、大学で勉強すればいいんだ」ということを言う人もいますが、大学の講義に無い「高校の時に勉強しなかった内容」を自発的に勉強する学生は稀です。
数学ができないまま大学生になってしまった学生は、大学卒業時も数学ができません。そんな学生でも、社会人になったら「エクセルの関数の意味を理解できること」くらい当たり前に求められます。
(その意味で、就職専門学校化している一部の大学で、中学高校の内容をできるまで教えてやらせる、という教育は合理的だと思います。それが大学のやることかと批判する人もいますが、「社会人としてやっていける学力で卒業させる」のは、学生にも社会にも意味があります。)

社会人になって苦労しない為にも、「高校卒業レベルの学力」を身に付ける効率的なプロセスとして、大学入試では一般学力試験で合格して入学することを自分は薦めています。



大学入試の準備で身に付く能力

世の中には「18歳の時点の学力などあてにならない」みたいなことを言う人がいます。では、大学入試の一般学力試験に必要な能力とは何なのでしょうか?

試験合格に必要なこと
国立大学なら、共通テストと2次試験の2回の本番試験で、合格最低点以上の点数(合格点)を取ること

合格点を取るのに必要なこと
本番の試験日を期限に設定し、入試科目を学習し、試験で点数を取れるように訓練すること

上記に必要な資質・能力
①簡単ではない学習内容に対し、諦めず忍耐強く取り組む能力
②人生の先を見越して「今の楽しみ」より大学入学で得られる「将来の利益」を優先できる能力(遊びたいのを我慢して、現在の自分のリソースを学習につぎ込む能力)
③締め切りを設定し、それに合わせて必要な行動を実行できる能力
④短時間で効率よく学習できる能力・資質
⑤多数の科目を同時並行で勉強する能力(難関国立大学ほど入試科目が多い)

大学入試で判定されるのは「試験日の学力」だけですが、その学力を構築するのは受験者の学習能力・資質・行動です。そして、この学力構築に必要な能力は、社会人として仕事をしていく上で必要とされる能力とオーバーラップする部分が多くあります。また難易度の高い大学入試に合格するには、上記の①〜⑤の能力が高いレベルで求められます。
加えて④や⑤には「努力だけでは対処できない部分」、今日で言うところの「地頭の良さ」に依存する部分があります。社会人になって、学生時代の延長で仕事ができるケースは多くないので、新しい能力・スキルを身に付ける能力が必要ですが、④⑤に秀でているとその学習コスト(時間、労力)が低コストで済むことが期待できます。

この為、「大学に入学した時の学力≒社会人としての活躍の期待値」と考えることに、相応の合理性があることになります。「18歳時点の学力」は単に表層的な試験のスコアではなく、先天的な学習能力・思考能力・行動様式・忍耐力など「社会人として長期的に効果的な資質」の傍証でもある、と考えることができます。また、学習能力や思考速度は、後天的な努力で大きく向上するものではないので、「18歳時点の学力」を「地頭の良し悪し」の目安に使うことも可能です。

以上のような理由から、新卒採用はもちろん、中途採用でも、どの大学に入学し卒業したか、その「学歴・学校歴」が評価基準の1つとして重要な意味を持つことになります。



「非学力選抜」による「学歴」の価値低下

昭和の中期くらいまでなら「大学入試は全員が同じ入学試験を受験して成績順に合格するもの」という前提がそれなりに成り立ったので、大学の卒業歴(学歴、学校歴)=大学入試での学力、と考えることができ、上記のような就職採用での「学歴・学校歴による選抜」が可能でした。
しかし私立大学を中心に「非学力選抜」を拡充し、国立大学もそれに追随した結果、「学歴・学校歴=大学名に見合った学力・能力」とは考えられなくなりましたまた、20世紀末に大学院重点化を進めた結果、難易度の高い大学入学を避け、大学院から入学する学生が増加し、最終学歴(卒業歴)では学力が推定できなくなりました。ここに至って、採用する側もそこを見定める必要が出てきました。

そこで採用活動での最初のフィルタリングとして、「学歴・学校歴」に加えて、SPIなどの試験でフィルタリングをするのが一般的になりました。大学入試の学力試験にガチで取り組んだ人間にとって、SPIは難しくない試験です。その為、この試験で「大学入試で必要とされたはずの、限られた時間内での情報処理能力」を磨いてこなかった人間を判別することも可能です。
大学入試で「非学力選抜」が広がることにより、「学歴・学校歴」の「社会人としての期待値」を判別する指標としての価値が低下し「学力」「情報処理能力」といった能力を直接的に判別するようになった、とも言えます。

学歴・学校歴やSPIで応募者の何が分かる!と批判するのは自由ですが、応募者が多数の場合、現実的な採用コストとの兼ね合いから、フィルタリングをかける必要があり、現実に実施されています。
大学卒業以降、就業に際しそのような選別方法が実施されるという事実を中学高校で認識している学生は、「学歴・学校歴」と「学力」のいずれも手に入れようと勉学に励みます。



まとめ
•どんなルートで人生を歩もうが、学力はあった方が良いです。
•学力を磨く手段として、大学入試の一般試験は有用です。加えてその成果には、社会的評価も付いてきます。